☆パン育士 Eve☆乳がん闘病日記&パン教室&子育てダイアリー

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近々、自宅パン教室を立ち上げたいと思っている子沢山なEve♫
施設でのパン教室のご案内・ホームメイドのご紹介・楽しい家族をつづっています♪
パン育士として、”手作り”を通して多くの方に健康について考え、自分や家族に優しくなってもらえるよう活動中です!

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昨晩、実父が息を引き取りました。
72歳でした。

事の始まりは3/14。外食した時に、父が「最近便が白い」と言い出した時。胆道閉鎖?赤ちゃんは聞くけど大人もあるのか?と。私は、まず受診するよう勧めましたが、3/21に会った時も未受診。その日はほぼ食事が取れない始末、絶対受診して!と言いました。
知人にも死ぬぞ‼︎と言われてようやく3/26に近医受診。翌日には胃カメラとレントゲンを撮り、月曜日に家族を呼ぶよう言われてキーパーソンの私が行きました。

状態が良くない、治療もできるか?ともかく大きな病院へ。腸閉塞と閉塞性黄疸が出ています。膵臓もかなり大きくなってます。腫瘍マーカーだと膵臓癌の可能性があります。医師間連絡をお願いしましたがまずはご家族で、と。すぐに総合病院に電話し翌日3/30の受診に漕ぎ着け3/31には入院、減黄のための胆ステント留置術をしました。
しかし、癌は膵臓の原型を解らなくさせるほど蝕み、腹膜播種、リンパ節転移もしていました。

もって一か月。やり残した事は?
父は少しでも良くなりたいと言いましたが医師は残念ながら難しい、と。余命宣告でした。父は私の次男がカナダ留学から帰る来年2月までは生きるのが目標でしたが、「持たないな」ボソッと言いました。

先週から、父は点滴すら腹水になるほど電解質バランスが維持できなくなり食事もほぼ摂れず、ただただお腹が空くのを、ジュースや飴で満たすしかなかったようです。

毎日電話していましたが日に日に呂律が回らなくなっていて、医師から一時外出したいと本人が希望しているので、いかがですか?と提案があり、15日に外出予定でした。

昨日19:30に、病棟から電話があり息が弱いと。病院着いたら既に息はしてなくて。
ただ、看取りは私の到着まで待ってくれました。長男と私と旦那で立ち会えました。
16時に電話で話したのが最後でした。外出まで待てなかったようです。
看護師さんも、18時にはテレビ見て外出楽しみだと本人が話してたと、しかし、次の巡回では息がなかったようです。ここ3日くらい食事摂れず、腹水溜まるので点滴も出来ずで。体力がもたなかったんだと思います。入院期間12日でした。

父の膵癌は、中でも遺伝性は低めな特徴的なもので、毎年エコーを受けていれば見つかったはずだと主治医に教えていただきました。

父の体は葬儀屋のお部屋に入室しています。自宅に帰すか悩みましたが、父は一人暮らしだし私が付き添うのは無理だったので。幸いなことに葬儀屋さんは、父の会社のエリアなので、今日は会社の方が数名面会に来てくださいました。自宅でなく、よかったかと思いました。

私は、高校時代、両親が離婚しているので
父の事は正直、嫌でした。でも、孫が生まれてからは、頻繁に会うようになり、孫達は可愛がってもらいました。
人生最後の10年は、孫との思い出ができたと思います。だから、もっと会っておけばよかった、という後悔は私にはありません。
唯一の後悔は、検診に行くよう伝えておけばよかったという事。
私も不安で早速腹部CT受けましたが、異常なしでした。検診は受けなくても健康、と言い子宮癌末期で一年余りで亡くなった義母も然り、やはり検診は大切だと実感します。

家族で送ってあげたいと思います😭
火葬が終わると、どっと落ち込むかな💦
今は気が張ってる気がします。

おはようございます。
今日もブログにお越しいただきありがとうございます。

今朝も自分が目覚め、父の病院から連絡がなかったことにホッとしています。生きているな、と。
父が余命宣告を受けてから、毎朝こんな感じです。

父はあと一週間受診が遅ければ、亡くなっていたとドクターから言われ、実は今生きているのも奇跡なくらい腫瘍が大きく、転移しているそうです。明日単位で生きていくことが目標になる状態とのこと。
父は、病気の影響で食が進まず、毎日聞く声も弱り、心配です。そりゃそう、腫瘍が8センチくらいあるそうで、胃を圧迫しているようなので、食もないでしょう。

ドクターから言われ、父にやり残したこと、整理しておきたいことを確認しました。与えられた残りの日々で父は退院してまでやり残した事はないけれど気がかりはあると。
父は自分が亡くなると、その後父の姓を名乗る家族がいなくなり、お墓がどうなるかが心配なようでした。私は嫁に出てしまい私の弟は交通事故で亡くなっています。父の兄は娘しかおらず嫁いでいます。弟が亡くなった時から、こういう日が来る事は予想しており、仕方ないかと私は思ってます。我が子を養子縁組するなど色々あるでしょうが、最後は永代供養になるよう私の代で手続きして終わるようかと考えてます。

父が1番可愛がってる次男が、今カナダ留学中で、帰国が来年2月。父は、あいつの帰国まで無理だな、仕方ないな、とぼやいてます。出発の時は、全く元気だったので、次男も報告したら驚くだろうし、勉強に身が入らなくなるのも、一緒にいないとフォローしてあげられない‥ということです、次男にはまだ知らせてないのですが🌀父が生きているうちに私にできる事は、孫達にオンライン面会で会わせることくらいかと。次のオンライン面会は木曜日に予定してます。まずはその日まで生きることが父の目標です。

こんばんは

この一週間、泣きました。
泣いて泣いて、親の死と向き合っています。
以下、あくまでも私の思いですので、ご理解ください。

父の病名は、膵管乳頭粘液性腫瘍 ステージⅣ。

本人は治療を希望しましたが、体内の水分バランスが調整できず、食事もあまり取れない状況から、治療に臨むのは難しい、できるのは痛みの緩和と、近いうちに訪れるであろう死への不安緩和だと主治医から言われました。父、苦笑い🌀

抗がん剤、食事がとれたら試せそうでしたが、短期間の延命でしかなく、副作用も強いと。根治ないなら無理に辛い思いしなくても、と医療側からのアドバイス。


今は病院にいますが、介護保険の介護度が出たら、人生の最期をどこでどう迎えるか選択しなければなりません。自宅は父の一人暮らしなので帰るのは難しいと私も父も同意見、あとは私に任せるとの父の意向でした。

ドクターからは、本人にやり残したことがあれば、それを整理する期間として、余命を使うことを勧められました。

ホスピスか、医療ケア付き有料老人ホームか・・・

私は自分の癌の手術を待つ間、怖くてたまりませんでした。父は、何もできないまま、がんが増殖するのをただただ過ごすしかないのはかなり不安だろうなと思うと、泣けてきます😭
しかし、泣いてばかりはいられません。

私の弟は、突然の事故で何もできないまま、何もわからないまま、この世を去りました。悔しかっただろうと思います。

父には残された時間がある。

前向きに、残された家族の時間を過ごそうと思います。



娘としてしっかりおくりたいと思います。

★追伸★
遺伝が怖くて医師に早期発見について聞きました。
父の癌は、定期検診のエコーで発見できる可能性があったそうです。

父は検診は受けない、怪我しても自力で直すほどの病院嫌いでした。しかも、へビースモーカーでもありました。



いてもたってもいられず、私自身もこの一週間、CTやマンモ撮りました。とりあえず、異常はなく安心です。

仕事や育児をしつつ、当面、父の介護に専念できそうです。



こんばんは
ブログにお越しいただき
ありがとうございます😊

先日、抗がん剤終了後、
初の血液検査でした💉
腫瘍マーカー、基準値ギリギリ👀
私的には、ショック🌀
でも先生は「基準内、問題なし!」と。

ホルモン剤は問題もなく 、
月のものが来ないくらいかな?
更年期症状、気をつけないとね👍