最近思う。


人の条件ばかり見ても


結局はその人の中身が重要だと。


外見ばかり気にしても


結局は中身、だと。




よくあの人はここがダメとか


こうだからダメとか


こーゆう部分があるからダメとか


まあ自分おいて


文句ばかり言っていた、昔。




いろんな形で


男の人と出会い


友だちとガールズトークで


ダメ出し。w




あんなは注文が多い


と友達がよくゆってた。w




偏見、とか?




大学の時、


やっぱり都会の人より


田舎出身の人の方が合うとか


ゆってた。




自分と親近感が湧く、みたいな。




でも神戸の生活が長くなるにつれて


正直そんなことはあんま関係なくなっていったようで。




友だちに関しても地方出身の方がなじみやすい、と


思ってた。





ってかむしろ


18歳で大学進学と共に神戸に出る際、


そんな近い友だちがこの先できひんのちゃう


って思ってた。


かわいくね~~~!w




育った環境が違うと


価値観が違うから


そんな仲良くなれると


思えなかった、そのころ。




なんでも


似たような環境で


似たような考え方で


似たような思考で


そうゆうのが


友だちになる条件みたいなものなのかと思ってた。




フィーリングより


理論が頭にあって。




高校の友だちが


頭で選んだのではなく


フィーリングで一緒にいたのは明らかなのに。w




実際


大学で親友ができて


育ちも考えも


行動も


すべてが違う人ばかりで。




彼女たちに出会って


救われた。




自分の考えに固執して


頭でっかちになってた部分があったことに気付けたし


気楽に構えることとか


もっとポジティブにいくこととか


とりあえず全然違う面を見て


すごく影響を受けたし


過ごす時間が何より気楽で楽しくて


条件なんて


そうゆうものなんて


関係ないと思った。




自分を必要としてくれる


その人にとって


自分が必要な存在であれることが


嬉しかったし


みんなが好きとゆってくれる自分に少しずつ自信を持つことができるようにもなって。





オーストラリアに来て


日本人っていうだけで親近感が湧くようになった。


なんならアジア人ってゆうだけで。w




日本の関西や西日本出身の友だちが


日本出るまで多くて


標準語を話す友だちとか


あんまりいなくて


関西から出たことなかったから


やっぱりなんか狭い世界にいた気がする。




それがこっちに来て


いろんな人間に出会って。


日本人の友だちも


ほとんどが


関東人とかだし


神戸っていうだけで


めちゃくちゃ親近感だし。




昔は神戸にいて


地元に近い人に親近感湧いてたあたしが。w




白人さんより


アジア人はやはり感覚が近くて


韓国や台湾や


そういう国の人は友だちになりやすい。




でもきっとこの先


日本かもしくはそのほかの国に行っても


オーストラリア人に親近感を寄せるようになる気がする。w




昔に比べて


グローバルになったね。


これで


人の小さいことばかり気にせず


その人を見られるようになったら・・な。




彼氏にするとか


そういうことでも


条件ばかりならべず


その人の中身を見るような自分でありたいし


もっと柔軟になりたいし。




出身なんて関係ないし


なんなら国籍だって


どーなんねんって話やし。w




もっと視野を広げないと。




昔から


視野は広くって思っていたけど


結局はいる場所で影響されて


狭くなりがちで。




もっと


やわらかくならないと。




日本の中を見るのではなくて


世界を見て日本を見る。




いろんな人と出会って


いろんな人がいること


いろんな人生があること


いろんな文化があること


いろんなことを知って。




いい勉強だし


いい人生経験だし。




狭い日本の狭い一部に身を置いて


小さなことにとらわれて


悩んでいた自分が


それを客観視できる


全然違う環境に移ったことは


やはり良かったのかなと思う。




人生はなるようになっている。


先はわからないけど


今の自分が未来を創っている。




過去の自分が今を創ったように。




やっぱり感謝して


できることを頑張ろう、とふと思う。