今日は、祖母の誕生日のお祝いを我が家でしました。
母の思い付きで急遽集まることになって、初めはいつもの癖で必死に準備していたけれど、
ふと「これじゃ、また同じパターンだ」と気づいて、
深呼吸して、自分のペースを意識し始めた。
完璧じゃなくていい。
“きれいな部屋”よりも、“私の穏やかさ”のほうが、
きっと家族にとっても心地よい。
そうやって始まった今日の家族の時間は、
誰かを責めることも、イライラすることもなくて、
「またやってるなぁ😅」って笑いながら、
みんなで楽しく過ごせた。
母も自己中心的なところは変わっていなかったし、
祖母も父も、いつも通りだった。
だけど、私はもう
「どうしてわかってくれないの?」
「なんで私だけが…」って
怒りや寂しさを抱えた昔の私じゃなかった。
どこか客観的に、でもやさしくその場にいられた。
気がつけば、私はずっと
「認めてほしい」「わかってほしい」「感謝してほしい」
そんな思いに縛られていた。
小さな頃、泣き叫びながら訴えていたあの頃の私は、
豊かな愛の感性と、鋭い違和感のセンサーを持っていたんだと思う。
でも、それが誰にも理解されなくて、ずっと苦しかった。
妹もまた、母の基準に合わせようとして、
「姉みたいになっちゃいけない」と自分を押さえてきた。
でも今日は、そんな妹が自分の言葉で苦しさを語ってくれた。
「私は自分で道を決めるのが怖い」
「小さい頃から怒鳴られる姉を見て、自分はそうならないようにしてきた」
それは、私を信じたからこそ出てきた言葉だったのかもしれない。
そして私は今、自分の内側から確かに感じている。
「母親問題はもう終わった」と。
誰かのせいにするでもなく、
誰かを変えようとするでもなく、
自分が変わった。
自分の人生を、自分の責任で選んでいくという感覚。
それが、やっと腑に落ちた。
もちろん、現実の忙しさの中で、
キャパオーバーになって子どもに怒鳴ってしまう日もある。
でもそれは「母親のせい」ではなく、
“自分の限界に気づいて”整えるためのサインだとわかってきた。
私は、たくさんの愛を持って生まれてきた。
だからこそ、歪んだ愛に誰よりも敏感で、
そしてその愛に敗けなかった強さがある。
その愛と強さで、
私は妹を助け、子どもたちを守り、
そして何より、自分自身を救い出してきた。
今日は、誕生日のお祝いだったけど、
私にとっては「新しい私が始まった記念日」みたいな一日だった。
私はもう、誰かの期待に応えるためじゃなく、
私自身の人生を生きていく。
母からも、過去の私からも、
やさしく卒業していくときが来たんだと思う。
☑️ 2025年の目標「母親問題を終わらせた」
ようやく、心からチェックできそうです。
