こんにちわ!
今日は曇りですが。。
最近不安定な天気がつづきますね。
きのうとおとついはなんかいまひとつの気分でふせってました。
雨で外にも出なかったせいもあるけど・・
もやもやもやもや・・・気分おもかった
このもやもや感からぬけたくて自分と向き合ったけどわかんない。
てゆうか、ちゃんと向き合えてなかったんだよね。
対話のプロになりたい!こんなときはホント思う
でゴソゴソとカードを引っ張りだし 22枚順番に並べてみた。
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布団のうえにですが・・(///∇//)えへへ
大アルカナ 22枚
順番にちゃんと意味が連なってるんだけど
それを1枚1枚丁寧にみていった。
そしたらだんだん気持ちがまとまってきたと同時に
少し気づいたことがある
22枚のうち引っかかるカードが3枚あった
前回に書いた共に歩く♪ でも使ったラプンツエルのカードは
とくに反応・・ そして他2枚
そしたら これもこれもだ・・となんだか自分のパターンがわかってきた。
いや、前から頭でわかってただけで 腑に落ちてなかっただけかな。
わたし、基本感じるの苦手な人・・( ̄_ ̄ i)
昔から自分の感情に厳しくてね・・ 嫌な感情を自分の思うように
動かそうとするところがある。 その感情を認めたくないんだよね。
人それぞれいろんな環境の中で育っていろんな経験をしてると思う。
わたしも子供時代は悲惨壮絶な経験を歩んできた一人。
簡単にいうと
母からの愛情はもらえなかった。でとどまらず虐待。
学校で9年間いじめに耐え抜いた。
(子供のいじめは本当に想像を絶し残虐だったりする。集団だから個々に罪悪もそんなないんだろうと思うが)
ここで負った傷はあまりに深かった。
恐怖と不安と戦う毎日。自分を守ることで精一杯の毎日。
子供ながらに生き残るための知恵をフル回転させてたと思う。
家でも学校でも。
そして今だからわかるが、そんな自分を無価値な人間なんだと思い込み、
この人らと一緒に私さえもが自分を追い詰めていってたんだよね。
反面 「無価値な人間」 とはずーっと認めれなかった。
はんぱない惨めさ、悔しさ、恥ずかしさを受け、さらしものになったわたしの自尊心なんて
どこにもなかった。
だからわざと明るくふるまって認めなかったし、認められなかった。
認めてしまったらあんな壮絶な中で生きていけれない、自分を保てれないと思ってた。
けれど、追い詰められたその先に待つのは自殺という考えで、小学5年生だった。
その時の救世主が祖母だった。
そして、当時ははわからなかったけど、大人になってちゃんとわかる。
数少なくても、わたしとちゃんと付き合ってくれてた友達もいた。
神も仏もないと子供ながらにみんなも神様も恨んでた毎夜だったけど・・
でも、あの時死ななくてよかった。
こんな感じの経験で、不安や恐怖を感じるのをタブーにして鎧をかぶって生きてきたわたしの
癖はなかなか強固。 まだまだ残ってる。
現実の場面場面で昔にフラッシュバックする反応。
自分を無価値と感じてしまうその感情さえも見たくない、認めたくない。忌まわしい過去の記憶。
だからいまも不安や恐怖の感情を味わうのは本当に苦手で勇気がいるし
感情を自分の都合のいいように思い通りにしようという我も癖でついついでたりもする。
そしていまもまだ「無価値な人間」を前提にして動いてるパターンにいることに気づいた。
だからがんばっても また元にもどった感と、そんなの嫌だ、となってまたがんばるパターンを
繰り返してた気がする。
1メートルを理想の自分とし完成と考えたら、 80センチは短い期間で気づいて変わりたいとがんばっていた気がする。
繰り返しのなかで3年に1㎝感覚くらいは成長はしてるのに そんな自分では満足できない、もっともっとと
理想を目指してがんばってた気がする。
嫌な元でも戻れば安心するの意味がなんかわかった気がする。
無価値な人間は嫌だけど、無価値と扱われた過去の感覚は確かに故郷にしてた。
嫌だと思う感情と向き合わず逃げて、頭でグルグルと考え外に答えを求め、安心感を求めるその癖も
結局自分には都合がいんだろうね。
嫌な感情と向き合わなくてすむし、嫌な感情で動く勇気を持たなくてすむから。
といえども、思考も知恵も 今の自分が満足しなくとも 結局よかれとしてしてくれてる気もする。
子供時代、知恵のない無力なわたしをその壮絶な環境から生き残らせるためのひとつのアイデア。
でも、それは子供時代は必要だったかもしれないけれど、
いまじゃもう大人。 逆に生きる上で苦しいものに変わってきてしまい、必要もなくなった。
むしろ邪魔に・・
それを気づいて外していくことが成長ということかもしれないけれど。
子供時代・・
嫌われた扱いの経験をしただけ。 決して自分が無価値な人間だったわけではない。
大人になればわかること。
思い込みの中にいただけ。 ただそれだけなんだろうね。 強固だが・・(苦笑)
実際救世主の祖母も居たし、 母の愛情も違った形だが(物をあたえる)ちゃんとあった。
真の友達もいた。
ただそこを見てないだけ。
それも真実。
こんな辛い経験なんかたくさんしたくない!!
正直それが本音だけれど、
きっとこの数々の辛い経験がわたしには必要だったのかもしれない。
このひとつひとつうの経験が必要で、何ひとつかけてもいけない経験。
だから今のわたしが成り立つのかもしれない。 と少しだけ思えた。
じゃあなんの為に・・とも思った。
なんとなく・・だけど
経験が必要だったから生まれてきたのかもしれない。
経験を通して成長するためにこの経験が自分には必要だった。
使命なのか役割を持つためなのかはわからないけれど。
経験するには感情が必要だった
感情があるから経験が役立つ。
人の気持ちに共感できるようになり
心に豊かさも生まれてくる。
辛い経験が裏返ったときは 人生がバラ色になる。
表裏一体。
どんな感情も生きる上では欠かせないものなんだろうね。
なんだか詩のようになってしまったけど(^▽^;) こんな事を昨日感じた。
もし神様がいるのなら、どれだけ愛情深いのか。
鬼ーーー!!!とも思ったけど
もしわたしに子供がいて、たとえ成長のためとはいえ 辛い思いで苦しんでるのをみたら
迷わずすぐに助けてしまうだろう。
心配してすぐ救いあげてしまうだろう。
それをしない神様は なーーーーーんてわたし達を信頼してるのだろう。
前向きな考えともとれるけど、
ほんとにさ、成長のためにこんな辛い試練をあたえ、見守るだけ。
どれだけわたしらの力を信じてるのか。
のたれまわろうが 苦しもうが 泣き叫ぼうが。 見守り続ける。
丸ごと包んで丸ごと信じる。 想像するだけで・・深く強すぎる愛。
ちゃんとピンチの時は救ってくれるし、クリアーした時は喜びってご褒美もくれる。
そういえば、自然の生き物もなんだか強いしね。
サバンナとか狼とか考えちゃうけど、人間も強い力は眠ってるんだろうね。きっと。
長くなったけど、
そう、わたしもしっかり意識して前提をひっくり返そう。
自分の望むものはもっとたくさん手に入れていいんだもん。
受け取ってないものがまだまだたくさんあった。
自分に価値がないと無意識で動いて 受け取ってこなかった。
なんだか受け取ったらいけない気もしてた。価値がないから・・( ̄_ ̄ i)
そうやって現実を引き寄せてただけなんだろうね、いまさらながら・・A=´、`=)ゞ
もう被害者意識はないつもりだけど、不幸癖からはもっと抜け出したい!!
そして ふんわり生きたいかな。
長い記事になったけど
こんな感じでいま過ごしてます≧(´▽`)≦
最後まで読んでくれて ありがとう!('-^*)/
補足: いじめ。いじめは本当にいけない事だと思う。
集団でのいじめだと個人個人はさほど罪の意識を感じないかもしれないけど。
いじめられる側にも問題があるともいうけれど、
やはりいじめる行為は絶対によくない事。
いじめられる側の問題として考えたら、きっと大人しく、がまんする子が多いんだろう。
やめて!と言わないことが、いじめをエスカレートさせてるのはあるかもしれない。
自分の経験上だが。
でも、それはあくまでも問題であって、その子が悪いということではない。
その子が原因を作ったわけでもない。
いじめはその子の尊い命を奪う危険性がある。
それはもはや犯罪の域。
それは問題を通り越して人としてやってはいけない事。
軽い気持ちからはじまって、おもしろおかしくやってるかもしれないけれど、
相手が何も言わないから大丈夫なんだとエスカレートしてしまういじめは、
どこかでいじめてる本人たちにもどの程度のことをしてるのかもわかってると思う。
程度にもよるが、子供のいじめを大人がリアルに体験したら、
大人の方がもっと簡単に自殺してしまうかもしれない。
そのくらいの残虐性があると私は思う。
大人にも会社でいじめがあったりもする。
でも大人は会社を辞めて逃げるという選択がまだできる。
でも、子供には逃げ場がない。
もちろんいじめてない子もいる。
だけど、いじめから助けてあげれる程の勇気を備えた子供もそう数はいない。
子供たちも関わることがどうゆう事か本能でわかるんだろう。
そんな気がする。
でももしいじめを見たら、
自分のできる形でなんらか助けてあげて欲しい。
いじめを経験した人間のひとりとして切に願う。
そして大人になったらわかる。
してはいけなかった事と。
私は今44歳。
当時17歳位の時にいじめた1人と再開したが、気まずそうに謝ってきた。
でもわたしは死んでもあなたを許さないと!当時その子に吐き捨てた。
集団なら大きくでれる態度も、1人になればそんなものかとその時思った。
その後、8年前位にもいじめた子ら数人と会う機会があった。
いじめられた私より、いじめた彼らの方が気まずそうだった。
けっこうな人数、そんな反応をしていた。
そこで、謝る子も居る。
そして自分もいじめられていたんだと以外な真実を聞く。
けっこうそんな子が多かった。
そしていじめたその子らも、罪悪感というものを背負って生きてるのが初めてわかった。
正直、今その子は私を少し償おうと思う気持ちがある気がする。
許すと口で言うのはできるかもしれないけど、
心底許すことはきっと出来ないかな。
忘れたくても忘れることはできないからね。
でも、そこから学んだこともある。
だから今は許すこともできないけれど、感謝も出来る。
少し書くつもりがこんなに長々綴ってしまいましたが、私の傷みがきっと書かせたんだろうね。
今いじめで自殺が問題になってるから、つい補足として書いてしまいました。



みんなに会えてホントに良かった




すげー
恐るべし!
恐るべしB型軍団w







伝わってないかも、酔っ払いだから。。w








エヘへ




