こんにちは。

個性を光らせカタチにする 齊藤美雪です音譜

私自身のことを書かせていただこうと思います。


今の私を作った大きな要素は3つある、と思うので、そのことを。

それで、ある程度私自身のことをわかっていただければ嬉しいです。

虹1つめは生きてきた場所

生まれは福岡、両親が福岡の人です。

そこから、父の転勤や留学などで、兵庫県西宮・千葉・福井・再び西宮・ニュージーランド・大阪・オーストラリアと移住し、26歳からはずっと大阪に住んでいます。

読書とピアノを弾くのが好きだったのは、もしかしたら出会いと別れが多くて深く人と付き合えないことへの現実逃避だったのかな、と、今ふりかえるとそんな気がします。

色んな場所に住んだ結果、大好きな大阪に住むことを選びました。
日本語で語り合えるってほんとに楽しいし、関西弁も親しくなりやすいことばだから、大好きです。

いろんな場所に住んだことは、私の心の在り方に大きな影響があったと思います。
いつか別れが来るっていうことが子供の頃からすり込まれていて、あまり人と深く付き合うことができない。(今はちょっと変わりました)

それで、目の前の人・目の前のことを精一杯大切にするということが私の指針に。
「どこででも生きていける」という確信があることも、財産かもしれません。


虹2つめは人

2人の息子たち。
人の存在が心の支えになるということも、この2人が教えてくれました。
なんといっても宝物プレゼント

それから、この数年間に出会った生徒さんたちや、一緒に仕事をしたり一緒に仕事をしている仲間は、仕事をする意味や目的を作ってくれたり教えてくれたりする大切な存在です。
いつもいつもたくさんの勇気をくれます。

「昔からの友達がいれば新しい友達はいらない」ってずっと思ってきたんですが、生徒さんや同僚がすっかり心許せる悪友みたいになって一緒に過ごす時間がたまらなく楽しく、こういう出会いがあるなんて、人生何があるかわからないとしみじみ思います。


虹3つめは色彩との出会い

文学と英語が好き!というだけで短大の英米文学科に入って、特に夢もないので、「父が安心してくれるかな」という理由だけで父が薦める会社へ入社しました。

そこからは、合間に留学などもありながらも10年近く社長や会計士の秘書を務め、とにかく忙しく働きました。

ボス(外資系だったので、上司のことボスと)に喜んでもらえる仕事が、カンペキに私の天職だと思って働いていました。ほんとに秘書の仕事が大好きでリボン

でも、子供がほしいなって思った時に続けられる仕事ではなかったんです。
それで、たまたま面白さを知った色彩の仕事しよう!って思いついて「パーソナルカラーリスト」の資格を取り、秘書を辞めました!

なんの根拠もなかったけど、なんの迷いもなく続けてきて、早くも15年目にたっていましたロケット

色彩学という理論がちゃんとあって、
分析や系統だてた説明もちゃんとできて、
それなのに、色選びの答えはひとつではなく数限りなくあるという不思議。

色彩を理解すると、
心の表現方法がわかるし、
人の心を感じ取る力も強くなる。

そんな色彩の魅力を知る機会がほとんどない日本で、
大人に・子供に、たくさん伝えて、
今より少し豊かな気持ちを持てる人が増えるといいなと思っていろいろと取り組み中です。



そして、現在に至る。
そんな感じです。



虹このページを見てくださって、ほんとうにありがとうございました虹