40の夏
とても良い天気だった。
暑すぎず、爽やかな風が頬を撫で、のどかな田園風景が続く田舎の幹線道路。
窓を開け、これから会う母への土産と、かける言葉に想いを馳せながら、目を細めた。
母は一人で遠出出来ない。
覚えている事と忘れてしまった事を分類分けできそうなルールは無い。
出来ることと出来ないことの境界線も母にしかわからない。
愛犬2匹と60坪程度の小さな土地に、自分の理想通りの可愛い家を建てて一人暮らしを始めたのは20年近くも前の話。
当時の母は、映画の翻訳をバリバリとこなし、世界中を好きに旅する誰がみても憧れの対象のような人だった。
子供は3人育てた。
オファーがあっても頑なに専業主婦を貫いた。
夫とは16年連れ添って、別れた。
別れてから16年後に犬との暮らしを始めた母。
母は絶対だった。
母は理想だった。
母は普遍だった。
末の子である私は母の分身だった。
これから会う母は別人だ。
別人になってからそろそろ10年になろうとしている。
私はとうに40歳を超えた。
上に2人兄弟がいたが、今は1人だけだ。
母にあるのは半年ぶりになる。
母はきっと10年ぶりねと言うだろうか。
そう?久しぶりなの?というだろうか。
今日はとても良い天気だ。
暑くなく爽やかな風が頬を駆け抜け、のどかな田園風景は続いている。
遠くにサイレンが聞こえる。
救急車のサイレン。
母じゃないかと不安になる。
心持ちアクセルを踏み込む。
