小学生時代というより、
ずっとなんですが。
うちの家庭は一般的に貧しい家庭?になったと思います。
当時は給食費も免除されるくらいのレベルです。
父は未信者なので普通に仕事をしていましたが、趣味にお金を使う人でした。趣味に依存していたんだと思います。生活が苦しくても趣味(ギャンブル含む)に使ってしまうんですよね。
きっとそれも母がエホバにすがってしまった理由の一つだと思います。
私のタンスにはお下がりの洋服ばかりが入っていた記憶があります。私はそのお下がりの服があまり好きではありませんでした。
たまーに自分が選んで買ってもらった服やお下がりの服の中でも気に入った服ばかり着るので、余計に学校では貧乏な子と思われていただろうなーと思います。事実なんですけど。
なぜか分かりませんが、私はボタンのついた服が好きではありません。
飾りでボタンがついているものもあまりかわいいと思えないです。
もしかしたら小さい頃強要された服装のせいもあるかもしれません。
母は
「苦しい時ほどエホバに祈りなさい。必要とするものは必ず何かの形でエホバから与えられるから」
みたいな事をよく言っていました。
そしてタイミングよく何かを譲っていただいたりすると、
「エホバが祈りを聞き届けてくださった」
と、更にまた感謝のお祈りをしてましたね。
大人になって思う。
本当にお金に困っていて、子どもが学校で恥ずかしい思いをしていたら(給食費免除・低所得のため補助が出ていたと思う)
親だったら子どもに我慢させるんじゃなくて、奉仕活動や祈りを捧げる前に働こうよ。
ハルマゲドンが来るからお金がなくても大丈夫‼︎と思っていたのでしょう。
その考えのおかげで、今何も(資格も学歴も)持っていないオジサンオバサン(当時の子どもたち)が生き辛さや悩みを抱えているっていうケースもたくさんあると思う。
今でも開拓者として日々奉仕活動をしている(らしい)母。
少し前に「また開拓奉仕に戻る事になったから」と言われて、何とも言えない気持ちになった記憶があります。
今更奉仕活動して、真理(?)を宣べ伝えて。
どれだけの人が聞くんでしょう。
ただの自己満足では?奉仕時間を報告して、達成感を得たいだけでは⁇
そんな布教活動、訪問される側からしたら迷惑でしかないと思ってしまいます。
インターホン越しに対応するだけでも、貴重な時間と心の穏やかさを奪われた気持ちになります。