山梨県甲州市大和天目

景徳院







山道を少し登ると


供養碑





ここは武田勝頼が
織田信長に追われて
逃げてきた場所

勝頼37歳
夫人19歳
信勝16歳

若い命を自ら断ち切ることはどんなに壮絶なことでしょう。
追い詰められた家臣達も激しい戦いの後
命果てた。

標高800メートル近い山中
悲劇の場所

この辺りは戦後も人が通れるだけの細い道で、30年前までは車がすれ違うことも大変なところだった。
標高1000メートルに集落のある隠れ里だった。
今は大型バスもやって来るようになり、秘境の面影はなくなった。

それでもこの山には不思議な地名や伝説が残る。

片手切り 木賊 天目。
鎌倉時代に開山された山奥の無住の寺には
十字架を付けた仏像が隠されている。いつ誰がこれをここに隠したのかは不明。
この山に隠れキリシタンがいたのか。

さらに山を越えると
武田家の家宝である当時の風林火山の旗が隠されて保存されている。さらにそのとき持っていた日本最古の日の丸の旗も一緒に運び込まれていた。
勝頼の家臣の一人が旗を守り生き延びよと命を受け命がけで旗を守り隠れ逃げて山奥の寺にかくした。しかし、家臣は再び戦地に戻り命を絶つ。






見事な紅葉なのに誰もいません



勝頼公と夫人の墓






勝頼夫人の

辞世の句




黒髪の 乱れたる世ぞ 果てしなき 
思いに満つゆる 露の玉の緒









二つ目の山門



本堂




本堂裏には






小さいけれど

見事な庭園があります





勝頼夫妻が自害した時、夫妻には赤ん坊がいました。
夫人は女官に赤ん坊を託して実家を頼って山沿いに逃げるよう頼みます。
赤ん坊を連れた女官達は、大月岩殿山の山頂まで来ました。ところが織田の追手が迫り山にその声が響きます。
もはやこれまでと覚悟して、赤ん坊を山の大岩から下へ落として、女官も自害します。
武田家は滅びました。
その後生き延びた有能な家臣達は家康に召し抱えられ活躍します。そして、家康は武田家とその忠実な家臣達の霊を慰めるためこの地に寺院を立てるよう命じます。








都心から
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