おはようございます。
前回の牧場の記事にかわいい子牛の写真を載せました。
ある一頭の子牛のことを、思い出していました。
それは
話は変わりますが
お隣の中国では、毎年犬の肉をみんなで食べるお祭りがあるそうで、野蛮だと批判されているそうです。
可愛らしいチャウチャウ犬はもともと食用だったそうですね。
食べ物の文化は国や地方でそれぞれです。
犬の肉がどれほど美味しいのかわかりません。もともと食べる習慣がないので、私はもちろん食べられません。
それで中国は野蛮だと思う人もいるかもしれませんが、実は日本でもつい最近まで犬や猫を食べる食文化がありました。しかも、それほど昔のことではありません。戦争中は犬は食べられていたことは有名です。戦後も地方によっては、ウサギや犬や猫を食べていました。
子供の時お祭りのヒヨコを育ててニワトリになりました。ピーコと呼んでいました。名前を呼ぶと飛んできます。とても懐いて可愛らしいニワトリでしたが、庭を散歩させていたとき、近所の猫に噛まれて死んでしまいました。
悲しくて、しばらく鶏肉を食べたくありませんでしたが、やがて普通に食べるようになりました。
ちなみに死んでしまったペットのピーコは食べてあげたらよかったのかもしれませんが誰も解体して、食べることは出来ませんので土に埋めてお墓を作りました。
ペットはダメで肉屋の肉はなぜ食べられるのだろうか?そもそも、どうして、動物を殺して食べなければ生きていけないのか?
子供心に不思議でした。
さて、牛の話です。
うちの子供達は全寮制の農場のある高校で、農作業やパン作りなど生きるための作業をしながら学ぶという特殊な学校でした。鶏や豚を育てて肉にして食べ命をいただくことを学ぶ学校です。牧場には、乳牛がいて新鮮な牛乳を生徒が絞り、毎朝飲むことが出来ました。
そして、毎年何頭かの子牛が生まれていました。夏に牧場を尋ねると子牛がいました。子牛はとても可愛いいのです。
けれど生徒の説明だと、雌の子牛は乳牛となりますが雄の子牛はいずれ肉として殺されることになり、その時期は決まっていないのだそうです。
冬になりました。
クリスマスは保護者と生徒達が一緒に
食卓を囲み生徒達が作った料理を皆で感謝していただきます。
手作りのハンバーグがありました。手作りなので硬くちぢんだようなハンバーグでした。
側に座っている男子生徒が小さな声で「やっぱり硬いな」「そうだな」と小さな声でささやいているのが聞こえました。
その時、頭の中にふっと夏に頭を撫でた可愛い子牛の顔が浮かびました。あの子はオスで殺される運命だったのです。
残すわけにはいきません。かわいそうなどと言ったら何を寝ぼけたことをと一喝されるでしょう。
私は涙が出そうなのをこらえて心の中でかわいい姿を思い出しながら、お肉をいただきました。感謝とは心から感じ謝ると書きますが、まさにその思いでした。
数年後この学校の、育てた家畜を食べる教育が大手の新聞の正月号の一面にのりました。
同じような話が映画化された時期でした。
まさに漫画の「銀の匙」。
殺さなければ、食べなければ生きていけないなら、いっそ草食動物になりたい。子どもの時、そう思いました。
人は一生のうちにどれだけの命を犠牲にしているのでしょうか。
犬はダメでイルカはダメで牛も出来れば食べたくなくて、
豚ならいいのか、豚も可愛いです。鶏ならいいのか。
答えは見えません。
ただ、あまりにも命とかけ離れている
グルメのテレビ番組や、広告をみると、悲しく、なんだか人間は残酷だなと、感じるのです。
のどかな牧場風景ですが、乳牛はお乳を出すために妊娠し出産させます。生まれた子牛はオスは肉になります。お母さん牛も数年で乳牛の役目を終わったら、肉になります。肉牛としてそだてられていないので、黒毛和牛のように美味しくはないでしょう。
前回の牧場の記事にかわいい子牛の写真を載せました。
ある一頭の子牛のことを、思い出していました。
それは
多分今までの人生の中で一度だけだと思いますが、
生きている時に触れ合った子牛を食べた体験でした。
話は変わりますが
お隣の中国では、毎年犬の肉をみんなで食べるお祭りがあるそうで、野蛮だと批判されているそうです。
可愛らしいチャウチャウ犬はもともと食用だったそうですね。
食べ物の文化は国や地方でそれぞれです。
犬の肉がどれほど美味しいのかわかりません。もともと食べる習慣がないので、私はもちろん食べられません。
それで中国は野蛮だと思う人もいるかもしれませんが、実は日本でもつい最近まで犬や猫を食べる食文化がありました。しかも、それほど昔のことではありません。戦争中は犬は食べられていたことは有名です。戦後も地方によっては、ウサギや犬や猫を食べていました。
息子の友達が我が家に泊りにきた時、彼の東北の実家では猫やウサギは食べ物として見られていたそうです。おばあちゃんは納屋で生まれた子猫が丸々太って遊んでいるのをみて「そろそろ美味そうだな」といったので猫を殺さないでと懇願したそうです。
ペットとして餌をあげて可愛がっていた野うさぎがある日ウサギ小屋から姿を消して、肉にされてしまった時はとてもショックだったそうです。
そうやってお肉は殺される前は一生懸命生きていて、望まないまま殺され人間に食べられるのです。
心情的に犬や猫の肉は食べられません。
では、牛や馬や豚や鶏はなぜ食べられるのでしょうか?
心情的に犬や猫の肉は食べられません。
では、牛や馬や豚や鶏はなぜ食べられるのでしょうか?
子供の時お祭りのヒヨコを育ててニワトリになりました。ピーコと呼んでいました。名前を呼ぶと飛んできます。とても懐いて可愛らしいニワトリでしたが、庭を散歩させていたとき、近所の猫に噛まれて死んでしまいました。
悲しくて、しばらく鶏肉を食べたくありませんでしたが、やがて普通に食べるようになりました。
ちなみに死んでしまったペットのピーコは食べてあげたらよかったのかもしれませんが誰も解体して、食べることは出来ませんので土に埋めてお墓を作りました。
ペットはダメで肉屋の肉はなぜ食べられるのだろうか?そもそも、どうして、動物を殺して食べなければ生きていけないのか?
子供心に不思議でした。
さて、牛の話です。
うちの子供達は全寮制の農場のある高校で、農作業やパン作りなど生きるための作業をしながら学ぶという特殊な学校でした。鶏や豚を育てて肉にして食べ命をいただくことを学ぶ学校です。牧場には、乳牛がいて新鮮な牛乳を生徒が絞り、毎朝飲むことが出来ました。
そして、毎年何頭かの子牛が生まれていました。夏に牧場を尋ねると子牛がいました。子牛はとても可愛いいのです。
けれど生徒の説明だと、雌の子牛は乳牛となりますが雄の子牛はいずれ肉として殺されることになり、その時期は決まっていないのだそうです。
冬になりました。
クリスマスは保護者と生徒達が一緒に
食卓を囲み生徒達が作った料理を皆で感謝していただきます。
手作りのハンバーグがありました。手作りなので硬くちぢんだようなハンバーグでした。
側に座っている男子生徒が小さな声で「やっぱり硬いな」「そうだな」と小さな声でささやいているのが聞こえました。
その時、頭の中にふっと夏に頭を撫でた可愛い子牛の顔が浮かびました。あの子はオスで殺される運命だったのです。
残すわけにはいきません。かわいそうなどと言ったら何を寝ぼけたことをと一喝されるでしょう。
私は涙が出そうなのをこらえて心の中でかわいい姿を思い出しながら、お肉をいただきました。感謝とは心から感じ謝ると書きますが、まさにその思いでした。
数年後この学校の、育てた家畜を食べる教育が大手の新聞の正月号の一面にのりました。
同じような話が映画化された時期でした。
生徒達は日常的に貴重な鶏を絞めて解体し
近所の農家に合鴨の解体の手伝いをしたりしていました。豚の解体もしたようです。
殺さなければ、食べなければ生きていけないなら、いっそ草食動物になりたい。子どもの時、そう思いました。
人は一生のうちにどれだけの命を犠牲にしているのでしょうか。
犬はダメでイルカはダメで牛も出来れば食べたくなくて、
豚ならいいのか、豚も可愛いです。鶏ならいいのか。
答えは見えません。
ただ、あまりにも命とかけ離れている
グルメのテレビ番組や、広告をみると、悲しく、なんだか人間は残酷だなと、感じるのです。
のどかな牧場風景ですが、乳牛はお乳を出すために妊娠し出産させます。生まれた子牛はオスは肉になります。お母さん牛も数年で乳牛の役目を終わったら、肉になります。肉牛としてそだてられていないので、黒毛和牛のように美味しくはないでしょう。
でも大切な命をいただいている私達。生きている間は良い環境で幸せに過ごして欲しいと、できるだけ残酷な殺し方はしないでほしいと願います。