アイフォンをなくした。携帯電話をなくしたのは初めてである。
落とした、またはとられた場所はわかっている。いずれにしても自分の不注意なのだが、喪失感がハンパではない。本気で涙が出た。2歳の娘が生まれて以降の写真、数千枚分はある。いくらかはパソコンに保存していたとしてもこの1年分くらいはパァだろう。
ポケットに手を入れたりコンセントを見たりするたびに『無い』という実感に押しつぶされそうになるので、割り切って新しい機種を購入した。幸いアドレス帳は残っていた。写真は…やはりゼロであった。パソコンにはどこまでが残っていてどこから消えているのか、怖くて確認できない。
「あーあ、思い出がみんななくなっちゃった」タメ息をつくと、すかさず6歳の息子が「ママ、ぜんぶなくなっても新しい思い出またいっぱいつくればいいよ! 泣かないで」と言って慰めてくれた。娘もまねて「ママ、泣かないで」とわたしにひっついてくる。ゴメンね、ケイタとカレンの写真きえちゃった…。
新しいのを購入しても、ついタメ息ばかりでメソメソしていたら、息子がママに手紙を書いた、と持ってきた。
『ママへ あいふぉんなくしてもわらっていてね。いつもだよ。それがわかったらいっしょにちょきんしようね。そしたらゆうえんちにいこうね。それからいつまでもわらっていっしょにたのしくすごそうね。だいすきだよ』
胸がジリリ…と熱くなって、別の涙が出てきてしまった。くすん、ゴメンね、ありがとうケイタ。
いつもわらっていてね、というのは子どもの一番のホンネなんだろうな、と思う。
子どもは親の怒る顔はキライだろうが、落ち込んだり泣いたりする姿も同様に見たくないものなのだ。わかっているのに、どうしようもないことも、ある…今日みたいに。そしていつも子どもたちに慰めてもらっている。情けない母だ。
リビングではしゃぐ子どもたちの写真を何枚か撮って、待ち受け画面に変えた。電源を入れたときに表れる二人の子どもに、ようやく少し、気持ちが落ち着いた。
