東京は早咲の小さな桜が咲いていて、ほっこり。春はもう近くまできていますね。
突然ですが、みなさんは、自分を愛していますか??
と、聞かれて元気に「イエス!!」と答える人は少ないのではないかと思います。
自惚れやさん?ナルシスト?と思われるのではないかと、遠慮して謙虚に返事をする場合もあると思いますし、「ノー!!」とはっきりいう方もいると思います。
私は、この「自分を愛する」という意味自体がよくわかりませんでした。
そして、いろいろなプロセスを経て、今はわかりました。
「自分を愛する」、という言葉がわかりにくくしている気もしました。
私の感覚では、「自分を丸ごと引き受ける」「自分で自分を幸せにする」といった感覚に近いです。
自分の良いところも、あまり好きではないところも、自分がよーく知っています。
好きではないところは、直したいですが、なかなか根強いので気をつけている、という感じです。でも、そんな自分も含めて自分だと、ある意味開き直っています。
良いところもあるし。この良いところとか、あまり好きではないところなどは、
完全に主観ですが。
ただ、自分に余裕があったり、満たされていないと、人に優しくしたくてもそれどころではないという状態になってしまうので、自分に優しくすることや許すことは、人のためでもあると思って受け入れています。
もうちょっと深い話を。
私は母があまり好きではありませんでした。
妹・弟に愛情が向き、私には厳しいことばかり。
現状でOKを言ってもらったことや、褒めてもらったことは一度もないと記憶していました。
もっと頑張らないと認めてもらえない、と思っていました。
代わりに、早く結婚して、愛情を夫に求めていました。
しかし、うまくはいきませんでした。
私は「母がしてくれなかったこと」にだけ目がいき、
「してくれていたこと」は横に置いて、そうは言ってもしてくれなかったことの方が多いと思っていました。
でも、私の思い込みでした。
私の望む愛情の定義(例えば、一緒にショッピングに行くなど。母は買い物が嫌いでした)を求めていただけだとわかりました。
コインには裏表があるように、表を見ずに裏のしてくれなかったことだけをみていました。
ある日、私は帰宅途中の電車内で、母の愛情のコインの表を突然思い出しました。
しかも五感で。
髪を結ってくれた時の感覚、お弁当を開けた時の匂い・・・・。
どれも幼稚園の時の出来事です。
私の中から、母の愛情が溢れ出てきて電車内にも関わらず、涙がボロボロと流れ落ちました。どうにも止めることができず、家に着くまでの帰り道もずっと泣いていました。
こんなにたくさんの愛情を受けていたのに、文句ばかり言って申し訳なかった・・・。
それからは、母のことが大好きに戻りました。
私はなぜ、母の愛情を思い出したか?
それは、心の中にいる小さかった頃の私自身と対話をしたからです。
目を閉じ、静かに座って、小さい頃の私をイメージしました。
小さい頃の私は、愛されず可哀想と思っていましたが、よく観察すると
淡々と一人で遊んでいるだけでした。
確かに、一人で遊ぶのも好きでした。
全然可哀想ではなかったのです。
そう思えた直後に、母の愛情を思い出せたのだと思います。
そして、そんな自分を愛おしく思えました。
そこで初めて、自分を愛するという意味がわかりました。
実際に母には謝りました。
「そうよ!長女のあなたには一番愛情を注いでいたのに」と言われました。
この日以来、何事も「できないこと(コインの裏)」を見るのではなく
「できること(コインの表)」を見るようになりました。
そして、丸ごと自分を受け入れることができるようになると
相手も許すことができるようになりました。
自分を愛するという感覚がもしよくわからない時は、
まずは「できないこと(コインの裏)」を「できること(コインの表)」に目を向けてみてください。
できない、と思った瞬間に、できるようにするには?と問いかけると
何か見えてくると思います。