人々は目的手段をたびたび混同させる。

 

 

日本人は将来を考えるとき、ほとんどの人が何になりたいのか職業を考える。

その職業になることが目的であるかのように考え実行する。そして会社に入りその職業になったときに自分の人生の歩みを止め会社の歩みを進めるための歯車になる。

 

そして、歯車から解放されると、自分の人生の続きがどこだったのか、水槽からいきなり空気中に放り出された魚のように息の仕方さえ分からなくなる。

 

しかし、将来の職業を目的ではなく手段として考えたらどうだろう。

どうしてそれになりたいのか、それになってなしえたい事を考える。

 

例えば、大手の一流会社に就職したいと思ったとする。もちろんそこには安定、ブランドなどのイメージ的魅力もあるのだろうから目的になりがちだと思う。

 

どうしてそこに入りたいかという理由を後付けで考えてしまうことが多いと思う。

 

 

そうではなく、自分はどのような人生を送りたいのか、どのように死にたいのだろう。自分はどんなことにやりがいや生きがいを感じ、どのような事に喜びを感じるのだろう。どのようになることが理想的であり、どのような人々に囲まれたいのだろう。

 

 

そう、自分に問うのである。就職雑誌やおしゃれな女性誌から自分を表す何者かを見つけるのではなく、自分の中から自分の求めるものをみつけ、その目的に向かって進む。

 

時間、空間、恋人、家族、ファッション、芸術、仕事、遊び、スリル、名誉、注目

様々なカテゴリーの中で自分のもっともほしいもの、揺るがない芯を見つけていく

 

 

多くの日本人は、一度その職業に就くと家族が出来て、生活スタイルが変わってもずっと同じ職であり続けることを最優先しているかのように見える。まるでゲームをセーブポイントなしでリセットされるかのような恐怖心を抱いている人々が多いように感じる。

 

 

しかし、あなたの人生はその職業で居続けるために存在しているのではない。あなたが生きるためにお金を得る、経験や肯定感を得るための手段に他ならないのだ。

そう思えば家族との時間を家族との関係性を仕事の犠牲にしていると思っている方々も自らそれを選び取っているのだということがわかる

 

多くの人は、そんなに簡単に転職できない。人生は変えられないという。

しかし、世の中にはいろいろな人を求めている場所がたくさんある。移住者を求め職を用意している場所だってある。もちろん慣れている場所から生活のルーティンを変えるということは大きな変化だ。大変かもしれない。

しかし、同じ会社に居続けても新しい新入社員が入ったり、上司が変わったり、リストラや転勤だってある。そのようなことは実は多くあり同じ会社であることの安心感はもはや空想なのではないかと思う。

 

また、家族との時間を増やせる。月収を増やせる。自分の時間を作れる。などの転職するきっかけとなった理由の事柄を得られるかもしれないという大きなメリットがある。自分の身の回りにあった環境でそれぞれが力を発揮できたなら、社会はもっともっとたくさんの力で勢いよく回り始めるのではないだろうか。と筆者は思う。

 

人生終わりだと嘆くなら一度そこでおもいっきってやってみたらどうだろう。

もちろんデメリットだって沢山あるかもしれない。しかし、得られるものはそれをはるかに上回ると伝えたい。

 

人々が他人の作り上げた価値に一生懸命にしがみつき続けている世の中がもうすぐ終わると、感じている。