子供の頃は自分で癒し方を知っている



物心ついたときから

なんとなく魂の存在を信じてきた。


私が空間デザインから、ボディーサイコセラピストに転職しようと決めてから、
子供の時の記憶がよみがえる。

6歳の時、祖父が亡くなった。葬式を見て以来、母方の家系が仏教徒であることを知った。
葬式の流れの一部始終を見たのは初めてだった。

やっぱり私にはすごく印象深いことだったので、今でも断片的に覚えている。



私は厳しいけど、優しいおじいちゃんが大好きだった。おじいちゃんは私にとってかっこ存在だった。


亡くなった時は悲しかったけど、死にたいしてあまり実感がないようにも思えた。母親が悲しんでるのをみて、わたしもとても悲しくなった。


従姉妹と祖母の家に置いてあったお経の本を覚えて流れを繰り返す。
そしてまたブランコで高いところに行けば祖父に話しかけられるという遊びを考えてて

迷わず本気でガンガン漕いで高いところまで(真似しちゃダメ、危ないから(笑))。
でも、あの数秒の宙にふわっっと浮いた感覚と、空のまっ青さを覚えている。

子供のころ自然に自分の癒し方知ってたよね。



でも、家に帰りもうおじいちゃんと会えないことを実感し始め、とても悲しくなった。


"死んだらどこに行くのか?"


眠る前に考えると、この考えてる感覚すらなくなることに哀しみを覚え涙した。

感覚は存在しない、、、の私が泣いている。


ただその後、"自分の感覚が存在しないのなら、悲しまなくてもいいのだ。

そして、お星さまのところに行くのだから悪くはない。" と思い安心して寝に着きました。


そうこの時も自分で納得して癒してるんだよね。


それが仏教文化への入り口であり、それに続く儀式だった。

魂という考え方が私の中に入ってきた。


時は変わり、話も少しずれちゃうかもですが。


仏教も霊、魂ももう忘れてしっまたぐらいの、


大学で東京に住んでいたとき。空間デザインについて勉強しました。
美術史か建築の授業のひとつで。 建築家コルビジェの教会の写真を見た。
(12歳の時、フランスに行き、少なくとも1週間は父と叔父と教会や城巡りをしていました。)

私はこの教会の中で「わあ」という感覚を覚える。ピンクや、赤のステンドグラスからは入ってくる光に魅了された。そして、忘れていたこの記憶を取り戻すことができて嬉しかった。


そこで父に電話をして聞いてみた。 父は言う。コルヴィジエの教会には行っていない。と

 不思議だ!雑誌やテレビで見たのとは違う。本当に体験した感覚なんだ。 

これは過去世が経験したことのある化身なのだろうか? その時はそんな言葉さえ知らない時。

今は魂についてオープンに話す時代です。 

脳科学的に何かあるのでしょうか?

私が敏感な人間だから、感動したものを見てシンクロしたのだろうか? デジャヴ?


いずれにしても、

もしかしたら、こういう事があるの忘れないでね というサインなのかもしれないし。

セラピストになるために勉強している今、この話が表面化してきた。 何か又分かることが、在るのかもしれない。


美しい空間、明るさ、暖かい感じ。これは心にとっておきます照れ


それでは ごきげんよう💫