胸が苦しくなる。
恐怖と絶望で、精神状態が正常ではなかった
あの日。
母として冷静に対処できず、
今、思えば一週間の間にパソコンで
頸髄損傷の事調べて、損傷して間もない時期なら北海道の札幌医大や大阪の北野病院などで
治験をやっていた。
そういうことを知ったのは、
もう何ヵ月もたってからで、
その度に母として情けなく思い、
もっとしっかりしないとあかん。
と泣きながら自分を罵倒していた。
後悔は止まないけど、
どの道を行っても多分同じ気持ちになってるのかも知れないし、こればっかりは分からない。
ドラえもんにポケットから過去に戻ってやりなおす道具を出してもらうしかない(^-^;
私があたふたしてる時でも
それでも息子は前を向いて頑張ってくれた。
明るくふるまってくれた。
私は、この3年息子の明るさで救われてきた、
これからもそう。
16歳で車椅子♿ユーザーのなった息子も19歳になり
大人の仲間入りももうすぐ。
まだまだ考え方も子供で、笑わせてくれる
息子だけど、
この日、この時間、息子が元気で
話をしてくれる事に感謝です。
そして、この3年で人の優しさを改めて感じました。ありがとうございますm(_ _)m
感謝しかないです。
皆さんの幸せを祈ってます‼