maruのアムステルダム日誌

maruのアムステルダム日誌

2011年1月より仕事の関係でアムステルダム在住。
アムステルダムでの毎日を綴ります。

Amebaでブログを始めよう!
更新するのは、ちょっとやめようと思っていたのだけれども、

やっぱり残しておいたほうがよい気持ちだったので。



帰国してから約2週間ちょっとが経ち、

あっという間に年の瀬で、

家やら事務手続きやらでバタバタしているうちに

あっという間に時間が過ぎた。



アムスに1年ちかくいたということさえ、

なんだかもう大分過去の記憶になりつつあるものの、

いまだにエスカレーターは右に寄っちゃうし、

ちょっとした瞬間に英語が出ちゃったり、

仕事をモリモリやっている周りを純粋に

私にはもうできないかも、とか思ったりすることもあるのだけれど、

日本は日本で

東京は東京で

ブランクはあっても、新しい気持ちでまた生活できそうな、

そんな気持ちだったり。

たかだか1年なんだけれど、

すごく長くいた気持ちで今はいます。




そんななかで。


今日は映画を見に行って。




なんというか、初めて帰ってきたことを実感したりしたのです。




前は一緒に映画を見に来て、

トレーラーを見て、あぁこれは見たいな、と思っても

公開日に自分がここにいられないのはわかっていて、

それを口にすれば涙が出てきたりした。




来週の約束ができないことが、

本当につらくて、

見れなかった映画を、じゃあ来週にしよう、なんてことさえ言えなくて、

当たり前のことが一緒にできないことが

なによりも苦しくて、

何度も大泣きしたことを急に思い出して。




その、思い出したことに

今日はほろりときた。





予告が来春でも、

もう一緒に来られること。

来週の約束も、明日の約束もできること。

普通に電話も時差なんて気にせずにできるし、

会おうと思えば会えるし。





なんだか、それ以上に幸せなことは

今の私にはないんだろう、と思いました。





それが

帰ってきたってことなんだと

急に実感して。




そして、そのことを

忘れたくなかったりしたので、

書き留めておこうと、

思ったのです。





当たり前のことに感謝すること。





それが、

本当に学んだことの一つです。










明日、帰国します。



たったの1年、

だけれども本当に濃くていろんなことを学んで、

そして気付かされた1年。



はじめは本当にしんどくて、4ヶ月近く毎日毎日泣いていて。

まったく誰もしらないアムスで、一人、冬で寒くて、

知り合いも全く増えて行かなかった。

自分でもそんな経験がなくて

正直びっくりしたくらい。

帰ろうかと毎日毎日思って、

だけれども、帰っちゃダメなんだと思ったりして。






それも、本当にびっくりするくらい忘れている。



いまは、あぁ、そうだったな、大変だったな、くらいな感じ。




たくさんの人に支えられました。


大震災が日本で起きたときも、

大事な妹が病気で倒れたときも、

本当に国籍も関係なく、誰もが自分を支えてくれているということを

心の底から感じた1年。




この気持ちを忘れないでいたい。




この先も、いろんなことが起きると思う。


自分ではどうにもならない不可抗力なことも起きるだろうし、

いっぱい大変なことも起きるはず。


それでも、

人は生きていかなくちゃいけないし、

結局は自分なんだと思う。



なんというか、

しばらく忘れていたことを取り戻した1年だった。




東京に帰ったら、

また新しい生活が始まって、

それは今よりももっともっと未知の世界になると思う。



それでも、

いつも笑って、

いつもポジティブに、

いつも通りに

やっていきたいと思います。





ということで、

1年続けてきたこのBlogも

終わりにしたいと思います。



それははじめから決めていたことで、

アムスの生活を綴るために、

友達や家族や、

日本にいる大事な人とのツールとして始めたものだったから、

それでよいと思います。


実際、このBlogのおかげで、

アムスでたくさんのステキな人たちと知り合うことができました。


みなさん、どうもありがとう。





東京に帰っても、

元気にやっていきます。


新しく自分のプロジェクトも始めます。


そのときは、お知らせまでに、

多分更新すると思います。





Doei Doei!




会社の同僚たちとの

ラストディナー。


これが食べれてよかった。

@Cafe Loetje


photo:01





photo:02






まだちょっと実感がない。


でも、ちょっと

ホッとしている自分も。



毎日食べ過ぎで

大分太ってきたなぁ。



iPhoneからの投稿
パッキングの嵐。


photo:01




なぜにこんなに量が増えたのか、

誰かに聞きたくなる。




東京の部屋に、

きちんと入るのか、

本気で不安。



帰ったらやることのひとつは、

確実に

モノ減らしだなぁ。


東京においてきた荷物、

全く思い出せない。









iPhoneからの投稿
当初、荷物はミニマムで持ってきて

ミニマムで帰る予定が。




あれよあれよと言う間に、

どんどんボリューミーになってきていて、

あっという間に相当な物量になっています。




理由はひとつ。


買うから。




当たり前だけれど、

買わなければ、基本的にはモノなんて増えないのです。




けれど、最後だと思ったら、

それも、これから先ヨーロッパにはおそらくしばらくこないんだろう、と思ったら、

これから始まる新しい生活を考えたら、

どうもモノが増えるのです。

そして、

周りへのおみやげが実は大好きだったりするのです。





モノが増えるのは、

密かにあまり好きではありません。




どちらかというと、

好きなもので、厳選したものたちに囲まれて

シンプルにミニマムに生きたいと思っています。





仕事で必要なデーターでさえ

できるだけミニマムにしたいと思っているのに、

残念ながらプライベートでは真逆の方向に。





スウェーデンで見つけたかったブランケットが

家から30mの先のお店で同じ価格で売っていては

あたりまえだけれど

買うしかないのです。



そしてわけのわからないものを買っては

あとでたくさん後悔もしていたりする。



東京の彼はいつも、

それは東京で買えるのだから、

東京で買えばいいよ、と

困り顔。

(もちろん物理的には顔を全然見ていないのだけれど)

私たちの新しい部屋は小さいに決まっていて、

荷物もミニマムであるべきなのに。





その一方で、

捨てるのも大好き。

親によく怒られていたのは、

捨てるんだったら買うんじゃない、と。

それも当たり前の話です。





東京にもまだまだたんまりとモノがあり、

それを処分するだけでも

密かにげんなりしたりする。





でも。




今ここにあるものは、

私には必要なもの。

元気を出そうと思って買った、

ittalaのお皿も、母にもらって持ってきたエプロンも、

彼が送ってくれたたくさんのファンシーグッズたちも

愛おしいのです。




そしてあほらしいのだけれど、

100均で昔買った中途半端なお皿は、

なんだかんだとなぜかかれこれ8年くらいの付き合いになっていたりして、

それをここに残していくのが

妙に忍びなかったり。

(でも、それは英断!)





いわゆる愛着。





そして。



なによりも、ここで得られたすべての時間と経験と出会いは

捨てられないものの一つ。




あと数日。

パッキングにいそしみながら、

必要なモノをもうちょっとだけ

手に入れようと思います。