明日、心療内科に行くために予約を取った。会社を休みたいという気持ちが強すぎて、ついに病院に頼る形になった。心療内科など自分には無縁と思っていたので少し怖い。
そして今「二人の自分」が激しく論争を続けている。どちらも自分のなかの人だ。ここにその対話を記録しておく。
【自分A:限界を訴える自分】
もう限界なんだ。何だかんだ言っても、これはただのサボりじゃない。休みたい気持ちが凄すぎて、本当に心が悲鳴を上げているから病院を予約したんだ。形だけ見たら完全にメンタル不調の人じゃないか。
結局、「誰か助けてくれ」ということなんだろう。あれだけ『友達不要、一人が快適』と言っていたのに、それは間違いだったのかもしれない。でも、それくらい追い詰められているんだ。
心療内科の先生から「しばらく仕事しないほうがいい」と言ってほしい。それがあれば、堂々と会社を休める。うんこ部署のうんこ客担当になってから、言いたい放題してきたうんこ雑魚ども、あの糞客たちや会社、上司への強い復讐心も止まらない。何らかの形で償ってもらいたい。そのために、まずは自分を守るための休息が必要なんだ。
【自分B:冷徹に突き放す自分】
いいや、それは単なる自分のやる気のなさ、言い訳、ずるさだろう。客観的に見れば、嫌な業務からノーペナルティで逃げ出すために、心療内科という制度を利用しようとしているだけに過ぎない。会社からのペナルティを回避するために、「医師の診断」という合法的なお墨付きを欲しがっている自己保身だ。
「誰か助けてくれ」というのも、他者との繋がりを求めているのではなく、単に自分の手を汚さずに現状を離脱させてくれるシステムへの依存だ。担当者のストレスなんて労働契約の内。それに対する復讐心や「償ってもらう」という思考は、社会通念上はただの逆恨みであり、生産性のないエネルギーの浪費だ。まだ診断も出ていない現段階では、これは単なる「就労意欲の著しい低下」であり、ずる休みだと判定されるのが現実的だ。
【自分A:限界を訴える自分】
ずる休みだと言い聞かせようとするのは、これが進行して本当に仕事ができなくなってしまったら恐ろしいという、恐怖の裏返しなんだ。
はじめは単に仕事が嫌なだけだったはずなのに、会社を休んだらますます行きたくなくなって、深みにはまっている気がする。自分のなかで「ずる休み」だと思いたくても、もしかしたら本当に心が病んでいるのかもしれないという恐怖が常にある。複雑で、とても苦しいんだ。
【自分B:冷徹に突き放す自分】
そうやって状況を複雑に感傷的に捉えること自体が、逃避を正当化するためのロジックに見える。
もしこれで診断書が出たとしても、それは「本当に病んでいる」からではなく、「現状のストレス環境から逃避したいという強い動機が、虚構だらけの不調を作り上げた」だけだ。偽物の診断だ。
自分のなかには、確かに「ずるさ」もあれば、同時に「恐怖や深い疲弊」もある。本当に精神病になっていることは避けたい。「ずるさ」「だらしなさ」がバレない形で会社をしばらく休みたい。
けっこう葛藤してるかも。これも先生に話すべきなのか、初めて病院行くから不安である。
もし今、この精神状態で以前のように酒好きだったら、朝から深酒だろう。考えるのが嫌で取りあえず「人生の唯一の友」に頼っていたことだろう。さらに自分を見失って、どうなっていたことやら。それはそれで興味深いが。
酒やめてよかった。
