我が家があるストリートは半数以上がリタイヤした老人(夫婦または未亡人)である。

ミレニア期の土地が高騰する前に、求め安い値段で買えたことが一番の理由だろう。

 

幾つかの家はオーナーが変わったが、ほとんどそのまま。みんな高齢になってきた。

うちのストリートではないが、まあ近所と言える場所にある1人暮らしの身体障碍者だった方はキッチンで倒れて亡くなられ(助けを呼べなかったのだろう。)、その後何日か経ってから近所の人に発見された。。。と、この前知った。

 

これには結構ショックだった。

 

 

犬の散歩の途中に会う90代後半の爺さんがいるのだが、暇そうにいつもドライブウェイに椅子を置いて外を眺めているので(裏庭にはプールもあるし、緑もあるのに。)たまに話し相手になっている。

 

 

その爺さんをしばらく見かけなかったので(私は、朝と夕方に必ず犬の散歩をしているので)、申し訳ないが多分亡くなったのだろう。。。と思っていた。ずっと一人で住んでいたのだが、一年ほど前から双子のような高齢の娘さんが二人同居し始め、爺さんの世話をしているようだったが、娘さんの方はたまに見るので、今度会ったら聞いてみようと思っていた。

 

 

そしたら、昨日の朝に爺さんに会ったのだ!生きていたのだ!

言い方は悪いが、もう90代後半、いつ亡くなってもおかしくない年齢なのだから、流行りの疫病も完全には消滅していない今、生きていたのが嬉しかった。



 

「しばらく見てないから、心配していましたよ。」

 

 

と伝えたら、「自分の事をコンサーンしてくれる人がいて嬉しい。どうもありがとう。」とちょっとウルっとしていた。「今は娘が二人いるから大丈夫だよ。」とは言ってたが、「でも、貴方、前は一人暮らしだったからね。気にかける事なら私にも出来ますから。。。」と言って犬の散歩を続けた。

 

 

うちも来年から夫婦二人になる。リタイアする年齢ではないが、夫は不健康を絵に描いたような人だし、自他ともに夫が先立つだろうとライフプランニングもそのように立てている。しかしながら、私の方が先日の検診で病気が再発していることを知り、再検査に回された後に、更にMRIにまで回された。前回はMRIの前に手術だったのに。


 

MRIの予約を取るために予約課に電話をしたら、「この精密検査はCancerをDiagnoseするものですか??」と聞かれた。一応、訴訟社会のアメリカ、この質問がYesだった場合には、娘がMRIを受けたときのように怪我だとかInjuryレベルの診断や精密検査とは違う心意気で臨むのか??詳細は分からないが、

 

 

Yesと答えた後の、なんか妙な虚しさというか、あ~死んでしまうのかな??とか弱気になっている自分もいる。

 

 

最近、事あるたびに、「犬より早く逝ってしまうかもしれないからね。」「もしかしたら最後になるかもしれないから」とネガティブ発言を繰り返していると、娘が、「なんで、おかんってそうネガティブなわけ??もう最近、死ぬ死ぬばっかり言ってるじゃない。。。再発しても手術で摘出が可能かもしれないわけでしょう??」という娘に対し、

 

 

「君の生命保険額の掛け金、上げなきゃいけないね。笑」「ってか、そういう風に今日が最後だと思って後悔なく悔いなく『今を生きる』と言う方法も一つかもしれないよ。」という夫。

 

 

まさにその通り。私はそういうつもりで生きている。

 

 

今までは、(事故以外では)絶対に不健康な夫の方が先に逝って、夫より半回りも若く健康な私が未亡人として長生きするのだと夫も私も思っていた。だが、夫が留守だった今週、カリフォルニアキングのベットで一人で寝ていて、真夜中に一人が無性に怖くなって飛び起きた。爺さんと話した日だ。

 

 

近所で助けも呼べずに亡くなった人の事を思い出し、私一人で本当に生きていけるんだろうか。。。と闇の中に落ちて行くような怖さが襲ってきて、家の反対側の自分の部屋で寝ている娘を起こしに行こうか迷ったくらいだった。

 

 

死ぬことよりも、取り残されて一人で老いて生きていくことの方が怖いのかもしれない。



私は一日でも夫より長く生きたい。夫の最後の日まで私が夫と一緒にいたいからだ。夫が死んだら、次の日に死んでもいい。だが、夫を残して死にたくない。



と思っていたのに。

 

 

いつもはあまりこういうこと(死後の世界とか)を考えないのだが、なんか急に怖くなってきた。