朝起きたら、自分が住んでいる土地では冬の寒い日の朝の平均気温まで下がっていた。
寒い!8月で54F。
ここで、スマホの世界とは5日間お別れ。☜結構、これ地味に辛かった。。
電気なし
水もなし
トイレもなし
風呂もなし
車もなし
ライフラインは全てなし
テントで生活
ガイドはつくらしい
カヌー🛶を漕いで全行程55〜56キロだそう。
私が今現在あるインフォメーションはそれだけ。
何人のグループなのか?
トロントの上の方だというのは分かるけど、どの辺?どの市?とかは全く分からない。
雨に当たらないように
向かい風がなるべく少ないように
カヌーパートナーがいい人であるように
これだけを車中で願っていた。
マリーナにチェックインしたのが朝10時ごろ、
私達家族4人以外には、6人のカナディアンがこのキャンプメイトに。アメリカ出身はうちらだけ。
インド系カナダ人と白人夫婦
中国系カナダ人夫婦
カナダ人女性2人(1人ずつで参加)
というメンバー。
ケベック出身のフレンチカナディアンの女性と地元育ち男性と2人のアドベンチャーガイドが私たちに同行し、12人の大きなグループで出発。(6艇のカヌー)
大きな樽が1人一つ
テント、空気圧のマット、寝袋が与えられ、その周りに自分の荷物(濡れたくないもの)を詰める作業。
これ以外は雨具などバックパックに入れてカヌーの椅子の下に。パートナーは次女になった。
夫はカヤック/カヌー共に経験者である事から長女とバディ。後部でステアリングを担当する事に。
2人乗りカヌーは、前方がモーターの役割、後方がステアリングの役割としっかり分担が決まっている。
私は毎朝平均2マイルの距離を彷徨いながら波を追いかけてパドルサーフィンしているので、パドル操作には慣れてるだろうと前方に座る事になった。(これが大きな誤算❶)
1日めは9キロ(逆風)、2日めは15キロ(ほぼ無風)。
昼にカヌーを停泊出来る場所を探し、
午後の予定を聞いて、
ランチ。
12人(6艇のカヌー)に3つの食糧樽と調理器具を積んでそれで5日間の食事を賄うらしい。
ランプや懐中電灯なども非常用で、基本は朝と夕方に枝木から火を起こして調理。
日の出と共に目を覚まし、日没と共に寝る。この点だけは私の普段の日常と変わらない。
Primitive なキャンプは、モンゴル現場活動時時代以来か?
当時は、地方の県などに医療活動があると、首都のウランバートルを離れ、ゲル(移動式住居🛖)の生活になった。
もちろん、電気・水・トイレなどはないからトイレ🚽関係についてはこの時に学んだのだが、
西洋と東洋の違いを実感
これについてはまたどこかで触れよう。
今回のキャンプでの水は全て川の水を濾過して飲み、調理。モンゴル時代は全て煮沸しか方法がなかった。。時代は四半世紀経ってるしね。。
右のホース付が濾過して飲む用、左が手を洗う用。
色んなルールをガイドから初日に説明され、確認して、5日間それを守る。ゴミ、排泄等。
私は20年以上武道家として生きて来たので、人間としてはタフな方だと思っていたけど、
一日めの向かい風のなかのカヌー漕ぎには、心折れ、
「もう置いていってくれ」
「脱落して、現世に戻りたい」
と何度もやめたいと思った。
涙脆い私なのに、泣きはしなかったけど、
「何が楽しくてこんな事してんねん」
と、
🛶漕いでも漕いでも、全く進まない
🛶パートナーとの息が合わない(自分の子なのに憎みたくなる、相手のせいにしたくなるほど最初のうちは息が合わなかった。前後チェンジしたけど、それも駄目だった)
初日の前半に
向かい風の洗礼を受け、
60近い夫婦がそれでも頑張って真っ直ぐ漕いでいるのに、
私たちは何故かジグザグ、真っ直ぐ進まない
これで55キロ?5日間?
なのに、このご時世好んで風呂もない?トイレもない?世界?
前途多難なカヌーの旅は幕を開けた。
トロントに戻りたい。
涼しく静かな図書館で読書したい。
高層ビルをキョロキョロしたい。
Hマートに買い物に行きたい。
YouTubeみたい。
そんな事ばかり考えて逆風に耐えていた。