夫に会ったばかりの頃、
EDDIE WOULD GO
の話を聞いて、その言葉が好きで、
先代のピックアップトラックには一時期、エディアイカウの記念ディカルを貼っていたりもした。
ただ私はビッグウェイバーではないし、アグレッシブに波を取りに行くようなサーフィンもしないし、どちらかと言うとメロウな小波で楽しくレイドバックなサーフィンをしたいタイプである。
世界中をパドルで回ることを生きがいとしているようなところがあるが、夢の場所が台東なのだからああいう波が好みなのだろう。
1/24に海に出たのが最後とログにはある。その後も海まで行ったけどコンディションが悪くて帰ってきたと言う日もある。先週波を運んできてくれた風も昨日の午後から収まって今日は波が残ったまま風も弱まると言う日であった。
予報がこれ。
ウェブカメラでチェックしても悪くはない。そして、先日の神ケリーのパイプでのインタビューもまた私の心を大きく動かしていた。
パンデミックになったばかりの一昨年の今頃、学会参加の為サンディエゴに行く予定だった長女のチケットをキャンセルせずに私が使うことにして、弾丸でトリップ+サーフィンに出かけた。パシフィックはこの時期めっちゃ寒いし、プロのガイドさんを見つけてサーファーには結構有名なビーチに連れて行ってもらった。
そのあとに少し話をしたのだが、「カリフォルニアは基本的に毎日波があるんですよ。それが大きいか小さいかだけで。。。」と言っていたことを思い出した。
私たちアトランティックは基本的に毎日波はない。夏などプールのようにフラットな日がほとんどだ。
だから、波が上がる日へのハングリー精神は他の地に住むサーファー以上で中南米やハワイなどに頻繁にトリップに行って練習を積む人もいるが、波のある日を有効に使って練習する人がほとんどだろう。
先に出た神ケリーもまたこのアトランティック出身だ。それで30年もトップサーファーでいられる。リサもそうだ。女子の創世記に長くチャンピオンでい続けた。
だから、後悔はしたくないと、9時過ぎに海に出た。
私がこの時間海に出ると言うのはほとんどない。
今日は非常に寒くて、しかも霧がかかっているような状況だった。体感温度は40F前後だったかもしれない。
誰かいてくれますように。。。。と期待薄ながらも海岸線の道路を北のピアから南のホームまで走らせてみた。
誰もいない。
マジで誰もいない。
この土曜日だったかに箸が折れたことを思い出した。非常に不吉な予感がした。
私はとてもスピリチュアルだし、そういうことを気にするタイプなので、もしかして。。。と更に腰が引けた。
もしかしたら私の海仲間たちは朝に出ていたかもしれない。さっさと出てくればよかった。。とまたここで後悔した。
己を知ること、自分の技術を知ること、海に入らないと言う選択をすること
というのも、サーファーの大切な心構えの一つだ。
ここで、誰か一人でも海に入っていたら、私の考えも変わったかもしれない。そして、私がもっと自分の技術にcomfortableなレベルでサーフィンができるほどの技術があれば入っていたかもしれない。
海に入らないで、家に戻る
と決めて、いつもの道を運転して、大橋を渡って内地に入ったあたりで泣けてきた。悔しくて泣けてきた。
なんで、こんな波のない街に住んでんねんやろ?
とか、全く物理的にどうしようもないこととかにも悔しくなって泣けてきた。
今心理的に非常に不安定である。明日の夕方にある賭けをしているからだ。それまでは安全牌をというのが、40後半に足を突っ込んだおばちゃんが引き腰で選んだ道なのだ。
夫に、
Chelsea would not go
とテキストした。さすがに朝送り出すときに、本当に気を付けてね。グッドラックって言われたので、いつもの私が選ぶようなコンディションではないし、気にしていたのだろう。
海から上がったらすぐにテキストしてね。とも言われていた。私のサーフウォッチにはGPSついてるんだけどね。
You made the right choice
と書かれていた。私がサーフィンにかける情熱は一番近くで見ているから、きっと家で落ち込んで泣いているのだろう。。。と思ったのかもしれない。
3月のサーフトリップもリーフブレイクのライトがメインの場所を選んでくれた。私の為にである。
年末のドミニカ共和国も南側は波がないので、波のある側をわざわざ選んでくれた。
自分はもうヘルニアでサーフィン引退しているのにだ。
このまま感染することなく、健康で現地に行き、楽しく波に乗る
それでいいんじゃないかな。
と思えてきた。