隣人がこの週末ガレージセールをやっていた。



ここ半年?ほどおっさんを見てないので病気か、祖国へ帰国しているのだと思っていた。




夫婦共にヨーロッパ出身の家族だ。


おっさんは夜勤でどこかの工場に勤めているのは知ってたがあまり英語が得意ではなくコミュニケーションが難しかった。




それでもたまに昼にジムに行くと会ったので挨拶程度はしていた。



先日彼らの夫婦生活はとっくに崩壊し、おっさんは出て行ったのだ




と別の隣人を通して夫が聞いてきた。




結構ショックだった。




私の周りではたくさんのママ友などが離婚してきたが



最近の



サーファー家族Lの離婚とオアフへ
この夫婦




は結構ショックだった。




昨夜夫の腰痛緩和の指圧中に




夫の親友夫婦もそう長くは続かないだろう




とかなりショッキングな話を聞いた。




そう思うと、私ら夫婦は



何という幸運🤞に恵まれて、右肩上がりに生活のレベルも上がり幸せのレベルを維持しているのかと



全てに感謝したくなった。




隣人の家の話に戻ろう。



おっさんは身一つかそのレベルで出て行ったのだろう。




ガレージセールではそのほとんどの本人が所有していたと思われるものが売られていたそう(娘から聞いた)




昔のベートーヴェンのレコードとかあって、長女がレコードを集めている音楽好きの友人に買ってあげてた。





断捨離中で何でもかんでも捨てていた私は




ものに対する考え方




というのを今一度考えていた。




結局思い出も何もみんな置いて出て行ったのだ。





近所に日本に住んでたと言う夫婦が越してきた事があり、夫婦共に日本語が話せたので(奥様は日本人だった)交流があったこともあった。



数年後に、この20年以上の結婚生活はチーティングと言う最悪な結果で崩壊したのだが、その後たまたま散歩しているとこの家のガレージセールに遭遇した。




さすがに奥様の個人的私物はなかった(と思う?)が、日本人の人なら使いそうな(でも欧米中南米系の人使わない)キッチン関係の大物が出ていて




ちょっと悲しくなった事を覚えている。





人間関係が崩壊しても残ってしまう「モノ」




それは、死んでも同じ事。




「モノ」だけは残るのだ。




考えさせられた。





昨夜パライが遊びに来ていたので夕食はヴィーガンバーガー🍔にした。



夫がグリルで焼いてくれたのだが、グリル用のライターが見つからず、



マッチを献上したところ、




オイルペイントで地元の人が作ったのを老ボスの奥様が買って10年以上前に私にお土産にくれた。



10年もったいなくて使えずにいたし、たばこ🚬も吸わない今、マッチは私の生活に必要ない。




「要らないなら貰ってもいいですか?」




と非常に物欲のないパライに聞かれた。




一瞬考えたが、




10年一回も使ってない
多分これからも使わない
でも捨てられない
捨てられないけど欲しい人がいる
欲しい人は娘の大切な人で娘を大切に思ってくれている人
旅の途中私の事を考えてくれてた心は届いた(土産の極意)照れ




と思って




写真に撮ったらあげてもいいよ。




と言った。





これで




手元に残らず記憶に残る




は達成したのかもしれない。