私はクリスチャンではない。

ただ、クリスチャンに囲まれて生きて来たのだが、


宗教は?



と聞かれると



これと言った宗教はないけど、神道を一番信じている



と言う。



先日のアメリカ国立公園巡りの旅で



初日の夕食で知り合った夫婦がいた。アメリカ南部のどこかから来た老夫婦だった。



私が未だに働いている事を



=お金の為(生活の為)



と思ってる感じが、イラっとしたが(古い考えなのか、奥さんには家にいてほしい。養う的な考え)



それ以外は結構いいおじいさんだった。



敬虔なクリスチャンで



円卓だったのだが、



食べる前にお祈りを始めたので、それが終わるまで待っていた。



私も一緒にお祈りする義理はないので、




彼らのエイメンが発せられた後、



私は「いただきます」



と手を合わせた。



我が家はいただきますとごちそうさまは全員がやる。



いただきますの意味がわからない人々には、



どんな意味があるのかよく聞かれる。




このいま置かれているお皿の食事に関わった全ての人(動物は食べないので、農家からシェフまで)と今自分が食事にありつける環境に感謝している。




と言うと




頷かれ、宗教か?



と続くのだが、




「私は幼い頃に日本に住んでいたので、その習慣の名残りです」



と言うと納得してくれる。




その老夫婦のお祈りを待っているときに



もう一度




いただきますの意味を考えて見た。




動物を食す人には、もちろんこの皿に出て来るまでの過程を知った上で感謝をして、残さず食べよう



と言う意味も含まれているのだろう。




この手を合わせるという行為が




非常に大切な事に思え、




それからは必ずやっている。




昨日の午後はハンズオンで





動物を使って処置が行われた。




医療系の学校を出てるので解剖学の授業はもちろんあったが、




その頃はベジタリアンではなかったので、如何に残酷な事であるのか思いもしなかった。




このバケツから淡々と取り出され、



うちらのセミナーが終われば



ゴミ箱へ行くのだろう。




動物の中ではトップ5に入る頭の良い動物だ。




牛の革製品と同じように二次利用だと言うのか?



ドクターらはマスクを配られた。



匂いがキツイと言う理由だ。



冷房も最低温度に下げられ、動物の死骸の異臭が、




この高級なホテルの外のロビーなどに漏れないようにされた。




なんかな〜




とやりきれない気持ちになった。





我が家の超優秀な娘が医療系に進みたくないと言うのもなんか分かる気がする。




私は今でも(仕方なく)動物を食す。自分の意思ではなく



今回の勉強会のように一択しかない場合や、頂いたり家で余った場合など。



手を合わせる意味が



ズシンと来た勉強会4日目であった。