12 美味しいとは、美しく味わうことかもしれない



震災後書き連ねてきた、このシリーズも、今日で第一部を終了とします。



最後は、「美味しいってなにか?」それを考えることを提案してみたいと思います。



この世界に脱サラで飛び込み、ようやく13年を数えました。


正直、美食の最前線に立つことが毎日でした。



しかし、胸は躍らないのです。


このブログのテーマでもあるのですが、美味しい先がまったく見えませんでした。


つまり、刹那的な体験。



この震災を体験して、このシリーズを書いて、


いろいろな経験を重ねてみて思うのは、


美味しいとは、味覚だけではなく、すべてに繋がるのかもしれない。


ともすれば、個人の感覚がクローズアップされます。



が、すくなくとも、僕にとっては、


美味しいとは、そこからいろいろな世界が広がるものであってほしいなと思うのです。


自分だけが美味しい感覚を独占する。


それも一つの在り方ですが、違う世界を見てきました。



僕が育った香港ではパーティが日常。


同じ皿を分け合う、味覚だけに頼らない世界。



実に楽しかったのは、そこにヒントがあるのかもしれません。



美味しいを、美しく味わうと解釈してみると、


新しいようで実は子供のころいた世界を思い出せるかもしれません。



これからその世界を覗いてみようと思います。



不思議な文章を読んでくださって、ありがとうございます。