怒りの研究(怒りの裏の本当の感情) | ビールがうまくなる目醒めのレシピ

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ひとって、怒った時に

「もう!」

っていいませんか?

 

 

 

「もう、いい加減にして!」

「もう、なんでそんなことするの?!」

「もう、やめて!」

 

 

この「もう」は、

デジタル大辞泉によると

「自分の判断・感情などを強める気持ちを

表す語。感動詞的にも用いる。」

とあります。

 

 

 

意識してみるとわかりますが、

この「もう」を発することによって

たしかに「怒り」の感情が高まります。

 

 

 

 

その出来事を、ニュートラルにとらえる前に

「もう」の言葉を発することによって

 

それは「怒るべき」できごととして

確定してしまうのです。

 

 

 

 

 

試しに、同じ場面を想定して

「もう」

の代わりに

「まあ」

といってみてください。

 

 

 

 

私は、これをやってみて

さっきまで怒ってた感情が

消えていくのを感じました。

 

 

 

 

 

具体的な例を言うと

 

 

うちには猫がいるんですが

夜中の3時過ぎに起きて

トイレをするんですね。

 

 

 

 

 

そして、私が片付けるまで

トイレそのものをひっくり返そうとします。

 

 

 

もちろん、本当にひっくり返すわけでは

ないのですが

それくらいの勢いでトイレをかきまわすので

 

 

うるさい。

 

 

 

 

システムトイレではないので

簡単に動きます。

 

トイレ自身が少し浮き気味になって

床に叩きつけられて

バシンバシン、とそりゃー耳障りな音です。

 

 

 

 

これを片付けるまでされるんで

夜中に目を醒まされ

 

「もう!」

となって起きるのです。

 

 

 

 

で、昨夜も同じように

起こされたときに

「もう!」ではなく

「まあ!」といってみました。

 

 

 

 

するとなんだかおかしくなったんです。

 

 

夜中に起こされることも

ひっくり返さんばかりにトイレを

かきまわしていることも

 

 

その出来事そのものが

「笑える」こととして

見ることができました。

 

 

 

ほんとうに、起こる出来事は

ニュートラルなんだな~、と

感じました。

 

 

 

 

これから、「怒り」の感情が出てきたとき

ことばにしないにしても

こころのなかで

 

「まあ!」

 

といってみよう。

 

 

 

 

ことばを発することで

「怒り」を増幅したって

いいことは一つもありません。

 

 

 

 

 

 

 

それから、「怒り」は「2次感情」

ということをご存じでしょうか。

 

 

 

 

ひとの心理として

ほんとうの感情を感じたくないために

「怒り」でカムフラージュする

ことが、よくあるといいます。

 

 

 

 

 

 

怒りの下に隠れた感情としては

 

「悲しみ」

「寂しさ」

「不安」

「心配」

「恥」

 

などがあります。

 

 

 

 

 

 

 

会社の上司で、よく怒鳴ったり

怒ったりする人がいますが

 

彼の怒りの下には

なにが隠れているのでしょう。

 

 

 

 

 

怒りには、親の氣をひきたい

という子供のころの感情が

残っていることがあります。

 

 

 

 

怒ったり怒鳴ったりすることで

自分の存在を認めてもらいたいんですね。

 

 

 

 

 

 

さて、わたしは母親の

耳が遠いことに

いら立つことがあります。

 

 

 

 

 

 

「買い物に行ってくるね」

と言い残して玄関まで行くと

「どこに行くの?!」

といわれたり

 

 

 

 

まあ、とにかくテレビの音量が大きいです。

(韓国ドラマっていつも誰かが怒鳴ってますね( ;∀;)

 

 

 

 

 

自分の怒りの下には

 

親の弱った姿を認めたくない

 

そんな姿を見ると「悲しい」

 

その感情を感じたくない

 

 

 

 

 

 

その心理がありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

介護の最中に

いつもできることができない父にも

怒りを覚えることがありました。

 

 

 

親の弱っていく姿を受け入れるのは

つらいものがあります。

 

 

 

 

でも、認められないからといって

怒っているのでは

私も疲れるし親もつらい。

 

 

 

 

 

 

父の排泄の失敗や

耳の遠い母に

いつも「もう!」と怒っていましたが

 

 

 

 

これからは「まあ!」

 

と、まず驚くことで

余白を持たせるようにしていきたい。

 

 

 

 

 

 

 

そう思っています。

 

 

 

 

 

 

「怒り」の研究発表でしたー(#^.^#)

 

 

 

 

                          (まだまだ元氣な頃の両親)