閑話休題...

理屈屋に見えるかも知れませんが、概ね、※自分を構成している成分は抽象的なものが多くを占めていると思います。

幼少時から、物事や人などに対して特定の匂いを嗅ぎ取って判断するという傾向がありました。
あくまでも主観的な決め付けによる抽象的な匂いです。

例えば、不可解な出来事に「犯罪の臭いがする」、恥じらいもなく媚びを売る態度が「鼻につく」、敵や仲間、好きや嫌いなどの本能的(生理的)な感覚を形容したそれでもあるのですが、更には実際にそれがどういう匂いなのか、甘いフルーツ、刺激のきつい香水、吐き気をもよおす排水など、具体的な印象やイメージも、同時に脳裏に映るのです。

そういうことが、文字や音楽に色彩を感じるという、いわゆる※“共感覚”の範疇に入るのか、そうでないかは判断がつきませんが、文字や音楽や人の感情からも、説明し難い特定の匂いを感じます。

それを言葉で説明したい、解明出来ないだろうかという思いの強さや、ジレンマの反動から、論理に頼るようについ理屈っぽい言動が現れてしまうんですよね。

それでも、ピカソ(Pablo Picasso:1881年~1973年)が描くようなキュビスムの抽象画が放つ、目に染みる無機質な悪臭には耐えられないし、『ゲルニカ:Guernica(1937年作)』など寝室に飾ろうものならガスマスクを被っても不眠症に陥ることでしょう。

ダリ(Salvador Dalí :1904年~1989年)に代表されるシュルレアリスムのスタイルは、まだ受け入れられるのですが、何れにしても抽象画の類いは、自分にしてみれば、ただの自己満足や欺瞞(ぎまん)の臭いしかしません。

だからと言って、リアリズムに徹した絵画にも、同様の無機質な臭気を覚えます。


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自分が正真正銘の理論派で、客観性を保ち続けられるのなら、無駄話に捕らわれることなく、簡潔な文章で話は既に終わっているはずですよね(苦笑)。

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【共感覚】:シナスタジア(synesthesia, synæsthesia)
▼Wikipedia
http://goo.gl/668mF9



♪「I Will Be Your Friend(Live in Montrex 1984 )」:Sade Adu
Ihttp://youtu.be/AWjdRO3MZxI







^*動画、及び添付のドローイングは、本文の内容に関わり合うような意味はありません。