私のクラスに新たな人が入った。
マラウイ出身、21歳の小柄な黒人男性。
彼と授業外で話したことはないが、生粋のクリスチャンであることが判明した。
授業で発言を求められる時に、何らかの形で信仰を表明しているのだ。
例えば、「引っ越し先を決めるときに、あなたにとって最も重要なことはなんですか」という質問に対しては、「神に祈りと感謝をささげるための教会があり、信徒である兄弟たちとの交わりが持てること」と答えていた。
授業内で彼のいうことを聞いているだけで、「神さまと教会生活を生活の中心に据えているんだな~」という感じがとても伝わってくる。
私が最も感心しているのは、クラスにはイスラム教徒とユダヤ教徒がいるにもかかわらず、彼らの前で一切躊躇せずに「私はキリスト(神)を信じている」と発言していることである。(*学校にはさまざまな宗教(無神論者も含む)の人がいるが、特定の宗教を信じているからと言って差別されることは全くない。)
私も彼を見習うべきである。
そしてイスラム教徒は今月はラマダンをしている。
私の学校には地理的な関係でモロッコやアルジェリア人が多数おり、ほかにもリビア人、イラク人など、イスラム教徒が多い。
そして彼らの中の最も不真面目な人であっても、ちゃんとラマダンを守っているのを見て、イスラム教が廃れない理由がよくわかったのと同時に、”名ばかりクリスチャン”(生まれたときに洗礼を受けたけれど教会に行かず、信じてもいない大多数のヨーロッパ人も含む)は何をやっているのだろうか…とも思えてしまう。
モスクで礼拝し、ムハンマドを尊敬し、ラマダンなどの規則を守ることは彼らにとっては特別なことではなく、日常生活の一部であり、ごく当たり前のことなのだ。
イスラム圏ではない土地でも自らの宗教を頑なに守っており、教えの内容はともかく、呼吸をするかの如く信仰生活を送る姿には感銘を受けた。
しかも仕方なく嫌々従っているというよりは、ラマダンにしてもむしろ楽しそうに実践している。
彼らはイスラム教徒であることを喜んでいるかに見えるほど、楽しそうなのだ。
信仰と生活の関係について、彼らからも学ぶことがありそうだ。
クリスチャンも負けていられない…。
そして何より、ムスリムの友人たちのふとした信仰を見たときに、私自身の信仰の浅さを嫌でも思い知らされるのである…。