タモリの手には白紙…あふれる感謝そのままに

8月8日7時2分配信 スポーツニッポン


 タモリは、手にしていた紙を何度も見ながら弔辞を読んでいたが、紙は白紙で、すべてアドリブだった可能性がある。7日夜放送のテレビ朝日「報道ステーション」では、弔辞の様子をVTRで伝え、映像から「手にした紙には何も書かれていないようにも見える」と指摘。インターネット上の掲示板でも話題となり「白紙なんだよね。すごいよタモさん」「あの長い弔辞を白紙で読んでるとかすげぇな」「読み上げるふり。ささげるギャグなのかな」などといった書き込みが相次いだ。

◆タモリ弔辞全文◆

 弔辞

 8月2日にあなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが回復に向かっていたのに、本当に残念です。

 われわれの世代は赤塚先生の作品に影響された第1世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクター、私たち世代に強烈に受け入れられました。10代の終わりからわれわれの青春は赤塚不二夫一色でした。

 何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていた時に、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは今でもはっきり覚えています。赤塚不二夫が来た。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。終わって私のところにやってきたあなたは、「君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住むところがないから、私のマンションにいろ」と、こう言いました。自分の人生にも他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。

 それから長い付き合いが始まりました。しばらくは毎日新宿の「ひとみ寿司」というところで夕方に集まっては深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタを作りながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。他のこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、いまだに私にとって金言として心の中に残っています。そして仕事に生かしております。

 赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。麻雀をする時も、相手の振り込みであがると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしかあがりませんでした。あなたが麻雀で勝ったところを見たことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかし、あなたから後悔の言葉や相手を恨む言葉を聞いたことはありません。

 あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折見せるあの底抜けに無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀の時に、大きく笑いながらも目からはぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺の時、たこちゃんの額をぴしゃりと叩いては、「この野郎、逝きやがった」と、また高笑いしながら大きな涙を流していました。あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。

 あなたの考えはすべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後関係を断ち放たれて、その時、その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と。

 今、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が、思い浮かんでいます。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外への、あの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あの時のあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。

 あなたは今この会場のどこか片隅で、ちょっと高い所から、あぐらをかいて、ひじを付き、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に「おまえもお笑いやってるなら弔辞で笑わしてみろ」と言ってるに違いありません。あなたにとって死も1つのギャグなのかもしれません。

 私は人生で初めて読む弔辞が、あなたへのものとは夢想だにしませんでした。私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今、お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の1つです。合掌。

 平成20年8月7日、森田一義



私最初にテレビで見た時はそんなこと考えずに見てたんすけど、TVのWSで「白紙」みたいな事を言っていた時に見たらホントに真っ白だったからすごいなぁ~と思いましたね!!


しかもこの後しっかり『いいとも』にでてましたからね!!


ホントにすごいです。

やってみましたですラブ

あいさんの結果

私の好きな潤しゃまからって・・・潤萌死



そんで漢字でしたらこうなりましたハートぃっぱぃ

愛さんの結果

リ~ダ~智



そんでフルネームでしたらこうなりましたべー

大塚愛さんの結果

ニノ~にの



カタカナでもしてみましたべー

アイさんの結果

翔ちゃんだぁ~翔



フルネームの平仮名バージョンですべー

おおつかあいさんの結果

キャ~キャー
これも潤しゃまだった潤くん萌死



英語でもやってみましたです笑

AIさんの結果

これも潤しゃま潤萌死



何故か相葉さんが出てきませんでしたあはは

マツジュン海外リポート初挑戦!日テレ24時間テレビ

8月8日8時0分配信 スポーツ報知


 日テレ系「24時間テレビ31 愛は地球を救う」(30~31日放送)のメーンパーソナリティーを務める「嵐」の松本潤(24)がこのほど、番組内のドキュメンタリー「松本潤カンボジアに行く! HIV母子感染の子供達と明日への誓い」(31日・後3時ごろ放送)で初の海外リポートに挑戦した。

 東南アジア最悪のHIV感染率1・6%のカンボジアの村に足を運んだマツジュンは、母子感染した子供たちとの交流を通じてエイズ感染の実態を取材。そして、子供たちの笑顔の裏に隠された厳しい現実を目の当たりにする。生まれながらにして死に向かう運命に衝撃を受けた松本は「どんなに心が傷ついても、子供たちは笑顔を絶やさずに暮らしています。そんな子供たちのために何が出来るか、何が必要なのかを考える貴重な時間になりました」と思いを語っている。

 パーソナリティーの大役を務める松本は、番組内のスペシャルドラマ「みゅうの足(あんよ)、パパにあげる」では10万人に1人の難病に侵された父親として主演する。放送開始当日に25歳の誕生日も迎えるだけに、忘れられない2日間となりそうだ。

今たまたま青山テルマのブログ見ててなんとなくルームに行ったらビックリ


誕生日が1987年10月27日やった!


私が1988年10月27日に生まれたのでポイント。

私が生まれるちょうど1年前にテルマさんはお生まれになったのですね゜o゜


はい!なんとなく自分が驚いた事だったので書いてみました笑




ポイント。

ちなみに私のルームにも書いてるかと思いますが10月27日といえば木更津キャッツアイのアニー役である塚本高史さんも同じ誕生日ですにっしっし

あとは小西真奈美さんもそうだった気がしますポイント。

・・・あと・・・リンカーン・・・かなぁ??

確かアメリカの大統領とも同じだった気がします笑



・・・どうでもいいですねあはは


『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』という映画のDVDを見ましたですおんぷ

お父さんと弟が借りてきたんですけどもビックリ

思ったより面白かったッスよgood

ウルトラ兄弟の人達とかが!

「おぉ~」って感じでポイント。


ってか私と弟は「ウルトラマンタロウ」世代(?)・・・かどうかは分からないけど「タロウ」を見てたのでポイント。

タロウ出てきた時に2人で「お!!タロウやん。」って言いましたね笑


まぁ私は前にTVでメビウスがあってたときにたまたま見た時があったんですよポイント。

その時にタロウが出てきて!

メビウスが「タロウ教官」って言ってるのを見てたから出るかなとは思ってたんですけどねべー

ってか・・・たまたまでも何故に見てたって感じですけどもねぷー


まぁそこはいいとしてあはは


タロウの声!

めっちゃツボに入りましたわぁ笑

・・・だって・・・ジャッキー・チェン(吹き替えの声)ですからね笑

もうジャッキーにしか聞こえないから爆笑ッスよ笑

ジャッキーが「スペシューム光線(?)!!」って言うんですからね笑



いやぁ~私メッチャ楽しんでしまいましたきゃは☆