「翔…の、君」

その、小さく掠れた声に、翔の君は、智の心の内をお感じになられました。
そして、智へ向き直られ、麗しくも妖しい光を湛えたその瞳にて、じっとお見詰めになりました。


「智、わしは明日、都へ帰る。さすれば、とうぶんこちらへは参れまい…今宵は…最後の夜ぞ」

「うん。潤に聞いた」

「ほう。潤士郎に」

翔の君の、潤士郎の名を口にされる声音には、どことのう冷たい響きが籠められてありました。今宵の君のご様子は、やはり、これまでとは別な感じがいたしまして、智は、思い切って尋ねてみることに致しました。


「ねぇ…ちょっと、訊いていいかな?」

「何じゃ」

「おいら…何か、怒らせることしたかな?」

「何故(なにゆえ)そう思う」

「だって、四日も来なかったし」

「わしも忙しいのだ」

「そうか…なんだ。じゃ、大丈夫だな」

「何が大丈夫なのだ」

「うん。おいらのせいで、潤が都に行けなくなるなんてこと、ないよね。あんなにやる気出して、楽しみにしてんだ。おいらも応援してやらないとな」



静かに微笑む智をご覧になられる翔の君の眼差しは、冷ややかにございました。


「そうよのう。智、わしも、そなたに、ちと尋ねたきことがある。その返答如何に依っては、潤士郎を落胆させることになるやも知れんが…」


怪訝な面持ちで、智は翔の君の次の言葉を待ちました。


「わしが参らぬ間、何を思っておった?」

「何って…どうして来てくれないんだろうって…」

「淋しくはなかったか?」

「そりゃ…」

「わしに会いたかったか?」

「…うん」

「ならば、わしが恋しかったと申せ」


翔の君は、智の傍まで歩み寄られ、御手、頬に添え、顔を上向かせました。



「さあ。わしを求めよ」

「え?何?…ちょ…待って」

智は御手を振り払い、立ち上がりました。

離れた智の姿を追う翔の君の目の中に、特別なものが在るのを、感ぜずにはおられませんでした。


「ど…どうしたの?なんか、変だよ。翔の君」


智は、恐れる心にて、じりじりと後退ります。その、智の手を捕らまえて、君は、引き寄せようと為さいます。


「ああ。変だとも。こうもそなた…智に執着しておるのだからな。逢わぬ間、何をしておっても、智のことばかり想うておった。夜、月を見上げれば、ここに座し、二人で語り合うたことなど、想うておった。智も、一人、月を眺め、そこにわしの面影を重ね、恋い慕い、身悶えてはおらぬか、と」

「身悶えって…淋しかったけど、そんなんじゃ…」

「そんなもこんなもない。わしは、この腕に抱(いだ)き、智をわしがものに致すと決めたのだ」


翔の君に強く引かれ、智の体は、その懐へ抱かれましてございます。


「決めたって…そんなこと…」


智がもがけども、その体は皆、お袖の内に捕まりて、とっぷりと、翔の君の薫りの虜となり、あの、熱きくちづけを、まざまざと思い出さずにはおられませぬ。


智の胸にも、あの夜の色欲が、ずっと燻り続けている魔性の想いが、頭をもたげようと致しまする。けれど、同じ様に、潤士郎への思慕も、改めて強うなるのでございます。


それだと申しますのに、御手の、袿の懐を割りて、素肌にお触れになり、熱き吐息の間近に聞かば、心と体は裏腹に、唇は、否、と、申せども、体は強張り、為されるが儘、受け入れてしまうのでございます。


そのような有様に、想いは乱れ、自ずと、熱き息を漏らし、それと共に、胸の内も漏らしてしまったのでございます。


「はぁ…ぁあ…やだよ、やめ…翔…お願いだから……潤…!」


「なぜそこで潤士郎を呼ぶ。ここに居るのはわしぞ。これ程に熱き心にて求めておるというに…!」