伏篭(ふせご)

午(ひる)の蒸し暑さも、幾分和らぎて、宵に、秋の虫のちらほら鳴くを聞き始める頃、潤士郎が、都より帰って参りました。
都の水が余程合うたとみえて、何とはなしに、こざっぱりとした様子を身につけております。



「智!戻って参ったぞ!」

久方ぶりに智の家を訪れた潤士郎は、腰に太刀を帯びておりました。
智は、何ひとつ変わりなく、作業台にて、竹と向き合うておりました。

「智!都の土産をたんと持ち帰ったぞ!今宵は宴ぞ!」

潤士郎が申すも、智は小さく頷くばかりで手を止めません。潤士郎は大袈裟に息を吐き、どかりと腰を下ろしました。


「お前は相変わらずだな。久方ぶりの再会だと申すに」

などと、うらみごとを申します。
智は困った様な有様にて、やっと、ひとこと申しました。

「お帰り」

「何だ?それだけか?俺が帰ったのに、嬉しくないのか」


智は少し驚いて、潤士郎を見ます。このような軽口を、申す男ではなかった筈だからでございます。

尚も潤士郎は申します。

「俺は、久しくお前の顔が見れなくて、淋しく思っておったぞ」

智は大きく眼(まなこ)を見開きました。それなのに、まだ、その口は止まりません。

「変わりない様子…安心した。会えて嬉しい」


潤士郎の濃い目許が、涼やかに細められ、手が智の頬に宛がわれました。智は、無言でその手を払ってしまいました。
払われた潤士郎も、当惑顔で智を見ます。


「あ…ごめん。気に障ったか?…女子(おなご)はこのようにすると喜ぶから…つい…」



そこまで申して、潤士郎は慌てて口を押さえまする。

「いや、そうでのうて、俺は、ただ、本当に嬉しかっただけなのじゃ…智、怒らんでくれ…そ、そんなことより、今宵の宴、来てくれるか?来てくれるだろ?」


不安気な潤士郎を斜(はす)に見て、智は立ち上がり、縁に出ます。



「智…」

「おいら、宴はいいや。人が大勢いるの苦手だし…」

「そ、そうか…ならば、膳だけでもこちらへ持たせよう。都より、珍しき菓子なども持ち帰ったゆえ…」

「いいよ。別に…」

「智…」

潤士郎の、哀し気な声音に智は振り返り、初めて太刀に気がつきました。


「それ、どうしたの?」

「あ?…ああ、翔の君に頂いたんだ。俺、都に出て、随身(ずいじん)になろうかと思う。翔の君にお仕えしようと思うんだ」

嬉々と申す潤士郎の言の葉は、智の意識の淵をすり抜けて、はらはらと零れてしまったようにございます。虚ろな目を致し、「ふうん」とだけ、申しました。
希望に瞳を輝かせる潤士郎は、智には眩しく、遠くに見えたのでございます。


潤士郎はと申しますと、共に喜んでくれるものと思うていた智のつれない振る舞いに、肩透かしをくらった体で、恨めしく思うておりました。