山桜

夏に田の蛙の音、稲穂に赤蜻蛉映える秋も行き、雪の真白に獣の足跡(あしあと)渡り、そしてまた、野に花咲き乱れる春の訪れ。

そのように幾年か過ぎ、智、潤士郎、二人の身に、時の変化が訪れようとしておりました。

それは、二人の想いなど知らぬ気に、ひとつの運命(さだめ)へと、全てを押し流してゆくのでございました。





里の東には、山桜が花を盛りと咲き誇っておりました。
それは、遠目に、山を薄い桜色の霞で覆うが如く見事なものでございました。



その評判を聞きつけた都人、その装束から、また、気品に満ちた立ち振舞い、麗しい目鼻立ちからも、やんごとなき身分のお方と思われまする。
そのお方が、歳の頃なら、十七、八、角髪(みずら)も麗しい稚児を二人と、いかにも猛者であろう武士(もののふ)を三人引き連れ、遊山に参られました。


辺り一面、咲き揃った様を見事と、また、風の吹きてはらはらと散りゆくを儚しと思し召し、都人、その懐より笛を出だし、清らかなる音を響かせ給うたのでございます。


笛の音は、舞う花弁(はなびら)を絹の糸で縫うが如くに辺りに響き、流れ、その場の空気を雅なるものに変えてゆきました。

それは、風に乗って里にも届きました。

美しい調べに引き寄せられ、潤士郎が東の山へと参りました。
潤士郎は、かように美しき音色は聞いたことがない。どの様なお方が吹かれておいでなのか、一目そのお姿を拝見したく思い、桜の木の間を捜し歩いておりました。


絹糸の如き音を辿り、木々の隙間に人影有りきと思うた刹那、笛の音は止み、代わりに、無粋な男の怒号が辺りの静けさを破りました。


高貴な笛の音は、里だけではなく、山賊の許にも届いていたのでございます。