大野の里

今は昔。どれ程の頃かと申さば、都にて、雅なる人の政(まつりごと)の恣(ほしいまま)に、神仏の護りも厚き頃と思し召せ。

飢饉も疫もなく、世は泰平。各々が求むる儘、そこかしこに、恋の華も咲き綻んでおりました。




さて、都より、幾許(いくばく)か離れたる田舎なれど、竹林と、また、桜の美しさで人に知られた、大野という里がございました。


里に遣わされた松本なる国司、仁心厚く、有能、真面目な働きぶりにて、里人からも大層慕われ、その士気高く、里は富んでおりました。


その大野の里の北に竹林がございました。
その、月に届かん程の大層な竹林のすぐ傍に、一軒の板葺きの家が在りました。
それには、変わり者の若者が、一人で暮らし居りました。

髻(もとどり)も造らず、烏帽子も着けぬ、されど、僧でも、また、非人でもなく、竹を用いて、笛や籠など作るを生業(なりわい)とする者でございました。


その者、名を智。風変わりな者なれど、才長けて、この者の手による笛の音には神宿り、いかなる魔も、立ち所に退散すると言われておりました。

他にも、書を認(したた)めても美しく、人目を忍びて、艶書の代筆を掛け合いに来る者、数多。

また、戯れに、目に触れたる物、或いは魚、或いは花、或いは鳥なんどを描きつければ、今にも紙の上より躍り出さん程の出来映え。


祭りの際には神楽を舞い、その細腰に、白粉(おしろい)の顔の麗しきに、舞の見事さに、物見の男も、女も、老いも、若きも、皆、魂を奪われる有様にてございました。

それでいて、人柄の穏やかなるは菩薩の如し。
驕れる処の一分もなく、心持ちの良い若者でありました。


巡る歳月、日頃は朴訥と笛をこさえ、舞に精進致し、また、良き日には、釣りに心癒す。
午(ひる)に微睡(まどろみ)、宵に酒と親しみ、孤独を孤独とせず暮らし居りました。