アモンのひとりごと -11ページ目

アモンのひとりごと

愛知県の結婚式場☆アモンスタッフによるブログです(*^^)

出勤途中に鯉のぼりをたくさん見ましたニコニコ

子供の時には毎年、鯉のぼりを出したり

五月人形を出してもらうのが楽しかったのを思い出します音譜

出てくる食べ物もいつも楽しみだったなぁなんて事も・・・アップ

でもなんで鯉のぼりや五月人形を出すのだろうひらめき電球

そこで調べてみましたビックリマーク


鯉のぼりの由来

鯉のぼりには、人生という流れの中で遭遇する難関を鯉のように突破して立身出世して欲しい、という願いが込められており、古代中国の故事に由来します。

中国の黄河上流に竜門という激流が連なる滝があり、そこを登り切った魚は霊力が宿って龍になるといわれていました。その滝を登るほどの勢いのある淡水魚は、清流のみならず池や沼地などでも生息できる生命力の強い鯉をおいてほかにありません。ある時、一匹の鯉が激しい滝水に逆らいながら竜門を登りきったところ、鯉は龍へと変身し天に昇っていきました。中国では龍は皇帝の象徴でもあり、とても縁起のいいものなのです。

この「登竜門」 という故事が、立身出世の関門を示すお馴染みの慣用句の語源ですし、「滝」という漢字もこの故事に由来しています。また、古代中国の超エリートである官吏登用試験制度の科挙の試験場の正門も「竜門」と呼ばれています。

※使用漢字には、登竜門と登龍門、龍と竜、どちらの説もあります。
※登竜門の故事は中国の「後漢書」「三秦記」が起源となっていますが、原書には「魚」となっており「鯉」の記述はありません。後に鯉として解釈されていったようです。


なぜ鯉のぼりを揚げるようになったのか?

もともと日本では、将軍に男の子が生まれると旗指物(家紋のついた旗)や幟(のぼり)を立てて祝う風習がありました。やがてこれが武家に広がり、男の子が生まれた印として幟を立てるようになります。

その後、江戸庶民の間で鯉の滝登りで立身出世のシンボルとなった鯉を幟にするアイデアがうまれ、武家の幟に対して、町人の間で鯉幟(こいのぼり)が揚げられるようになりました。当時は乳幼児の死亡率が高かったため、健やかな成長を祈る気持ちの表れでもあったのです。

江戸時代は和紙に鯉の絵を描いたものでしたが、大正時代に破れない綿の鯉のぼりとなり、昭和30年代に入ってから合成繊維の鯉のぼりが登場し、広く親しまれるようになりました。近年はベランダでも揚げられるタイプもあり、インテリア用の鯉のぼりも人気があります。

また、鯉のぼりに五色の吹き流しには魔除けの意味が込められています。


凄い・・・深い・・・

でもこういった昔からの話の場合

中国からの伝来が多いような気がするビックリマーク

現代ではいろいろと問題視される事柄が多いですがやはり中国は深いアップ



五月人形の由来

「五月人形」は、人形が人の厄を受けてくれるという身代り信仰のひとつで、有名な武者を模したものを「武者人形」と呼び、勇ましい男子に育つよう願いが込められています。

【金太郎】 
坂田金時の幼名で、その怪力童子ぶりが伝説となる。源頼光に見出されて家来となり、「頼光四天王」のひとりとして活躍。

【牛若丸】 
源義経の幼名。7歳で京都の鞍馬寺に預けられ、武芸を磨いた。

【弁慶】 
京都の五条大橋で牛若丸と出会い家来となる。知恵と怪力で大活躍し、豪傑の代名詞に。

【鍾馗(しょうき)】 
中国の皇帝の枕元にあらわれた幻の英雄。邪悪なものや疫病から守る魔除けの神。

【鎧(よろい)】【兜(かぶと)】
武士の命を守る大切な道具を飾り、様々な災いから子供を守って逞しく成長するよう願います。頭上のマークは武将の家紋で、その勇姿に成長を重ねています。

こちらも深い・・・


凄いぞ中国ビックリマーク


中国では三国志、韓国では高句麗・新羅・百済の三国の話など好きですし


日本では戦国時代が好きなので改めてこの辺りの時代をもう一度


調べてみようとこどもの日を調べた結果!今真剣に思っちゃってますにひひ



明日はこどもの日音譜


ご家族が幸せな雰囲気に包まれることを


心から願いながら本日のブログを締めさせて頂きますニコニコ



明日はこどもの日ですが花交流フェアにご招待されましたので


アモンの入り口などの飾り付けを勉強しに行ってきますチョキ