このブログでは、よく昔のテレビ番組のことを書いているので、私をテレビっ子と思う方がいるかも知れない。

実際は、確かにテレビをよく見ていたが、それは同世代の平均くらいだったと思う。

 

まず、テレビのチャンネル権は父親にあった。なので、夜の時間帯は親が見る番組を見ていた。

4月~10月は、野球中継である。当時は、巨人戦の中継がほぼ毎日あった。なので、セリーグの選手名はある程度覚えたが、パリーグはほとんど見る機会がなかった。

親は巨人中継を見ていたが、ずっと後になって阪神ファンだったと知った。

 

うちの親は時代劇が好きだったので、かなり詳しくなった。

「素浪人月影兵庫」(1965年開始)

「銭形平次」(1966年開始)

「素浪人花山大吉」(1969年開始)

「水戸黄門」(1969年開始)

「大岡越前」(1970年開始)

「遠山の金さん」(1970年開始)

「荒野の素浪人」(1972年開始)

「木枯らし紋次郎」(1972年開始)

「必殺シリーズ」(1972年開始)

「ぶらり新兵衛 道場破り」(1973年開始)

「子連れ狼」(1973年開始)

「桃太郎侍」(1976年開始)

NHKの大河ドラマも、時代劇関係は見ていた。単発の時代劇もよく見ていた。(年末の忠臣蔵は、毎年やっていたように思う)

 

なので、私が自分の好みでテレビ番組を見るのは、家に帰ってからの午後4時~6時の間か、土曜の昼過ぎ、日曜の午前等である。

 

平日の午後は、大体再放送をやっている。ウルトラQの特撮モノやアニメ(例えば明日のジョー、野球もの)は、多分この時間に見ていたではないかと思う。

 

また、お笑いもこの時間にやっていた。

平日の夕方に「笑って笑って30分」という吉本の番組があったが、後に「夕やけ笑劇場」となるが、曜日によってMCが異なっていた。

この番組では、関西の「大喜利」が行われて、例えばべんべん節「なんとかのようでなんとかでない、べんべん」「それは何かと尋ねたら」・・・、落ちてます節?「落ちてます、落ちてますよ」・・・「拾ってみたら、なんとかだった」、とかいうのが行われていた。回答メンバーには漫才の人もいたりして、固定していなかったように思う。

当時、西川きよしも出ていて、その時は出目で売り出していた。吉本は割と人の特徴を売りにしていて、奥目の岡八朗、背の低い池乃めだか(当時、海原めぐる)、四角い顔の仁鶴などはその例である。

 

吉本のお笑いは土曜の昼にも放送されていて、なんば花月の笑劇場が実況(多分録画)されていた。吉本のお笑い芸人は、我々にとって身近な存在だった。

松竹系の演芸も行われており、藤山寛美の舞台も土曜日だったかに毎週放送されていたように思う。

 

このように、関西の芸人が、お笑いやバラエティの司会で圧巻していたのであるが、実はこれは関西の話であって、関東の番組では放送されていないことを知るのは、東京に出てからだった。

 

親はクイズ系(体力含む)の番組も好きで、「底抜け脱線ゲーム」、「アップダウンクイズ」、「連想ゲーム」、「スターアクション!」、「ほんものは誰だ」、「クイズダービー」、「巨泉まとめて百万円」などがある。

当時の番組表があれば、もっと思い出せるであろう。

 

まあ、とりとめのない話になってしまったが、私だけでなく親もテレビを相当見ていたのである。親が見る番組で知識をつけた面もある。

 

テレビというメディアは、我々の生活スタイルを変えたという点では、画期的な装置だったと思う。今のインターネットはその進化形である。

 

人の脳は、実体験による知識よりも、情報そのものをほしがっている。脳が、情報網の中に入っていくというのは、SFの話ではなく、多分そうなるだろうと思う。

 

タイトルとは変わってしまったが、テレビから未来を考察してみました。

 

関西のお笑いについては、後日触れたいと思う。