以前、サイバー空間への意識のアップロードを扱った海外ドラマがあることを紹介した。アマゾンプライムで今も見られると思うが、そのまま「アップロード」というタイトルである。このドラマでは、意識がサイバー空間に移植された後、肉体の脳は破壊されてしまう。

 

 意識の移植はSFの世界と思っていたが、実は東大の渡邉正峰という先生が、この研究を進められていることを最近知り、びっくりした。

 

 自意識の構造についてはまだ未解明なところがあるので、サイバー空間の中にいかに意識を移すのか全く検討もつかない。単純に考えても、記憶があり、外部刺激による脳細胞の活性化があり、それらを取捨選択して統合する意識がある。もちろん、膨大な無意識の領域がある。

 

 渡邉先生の方式は、脳を機械に接続し、徐々に脳機能をコピーしていく、というものである。脳の機能を真似したコンピューターは存在するわけであるので、脳細胞の働きをシリコン上で再現することはできそうである。配線が多くなりそうなので、接続の物理的な困難さは残るであろう。ただ、このように記憶や細胞活性化のパターンを移していくことは、理論上は可能なように思える。

 

 完全コピーされた意識がある場合、本体はどちらかという問題がある。我々は、他人の意識を知ることはできない。つまり、同じ意識でも別個のモノとして存在する。なので、同一性を保証するために、どちらかは消して(消滅させて)しまう。

 

 しかし、よくよく考えれば、外観を変えさえすれば、意識に「自分は機械に移植された人物Aである」という記憶を付与すれば、個人としての同一性は保たれることになる。奇妙なことに、複数の自分(の意識)が存在することが可能である。

 

 渡邉先生の研究のモチベーションは、死への恐怖とのことである。死への恐怖の根源は、自分の意識が永遠になくなることである。機械への意識のアップロードが可能になれば、この恐怖からは逃れられるだろう。

 

 同じ意識を持つ個体AとA’があった場合、お互いが分かり合うことがない。Aは自分の意識が機械のA’に移ったとしても、AはA’のことを知り得ない。A’は、自分の意識はAから移ったと言うことは知っていても、Aの思考を知り得ない。

 

 従って、Aが死ぬ際に、自分の意識はA’に移ったので、死の恐怖を感じない、というのは必ずしも言えないだろう。思考する脳あるいは機械が別である限りは、この疑念から抜け出せないように思う。A’は移植されたことを知っているので、継続性を感じることはできる。しかし、自分のコピーA*が作られても、それを感知することはできない。

 

 我々は、肥大化した自意識という結構厄介な代物を持っている。自意識を残すことが可能というのは、死の恐怖を和らげる新たなツールになると思う。肉体は意識の単なる入れ物で、意識こそが本質という考えである。

 

 ただ、先に述べたように、意識よりも肉体こそが本質という考えもあり得る。今はこれが主流だろうと思う。しかし、個体の死と意識の消滅がイーコールでなくなった場合、死という現象が変容してくる。例えて言うと、人によっては魂の存在が現実のものとなるということである。魂の方が本質という考えである。

 

 これは、心身二元論の復活ではないだろうか。我々は科学により魂の存在を否定するようになったが、新たな魂が科学によって生み出されるかも知れないのだ。