東大前で高校2年生によるテロが発生した。

今のところの報道では、成績が伸びず、死ぬ覚悟で行った犯行らしい。

 

最近、死ぬつもりで他人を巻き添えにして行うテロが増えている。一人で自殺すればいいと思うのであるが、なぜ他人を巻き込むのだろうか。

 

一人で死ぬのは惨めである。自分の死を派手に演出したいという考えがあるのであろう。

それにしても、その結果どうなるか想像する能力が欠如している。

 

かと言って、40年ちょっと前に受験生だった私も、受験生らの心理を全く理解できないというわけではない。

 

何になりたいとか、夢とか、そういうのは持っていなかった。

私に見えるのは、ただ目の前のレールだけだった。

そのレールがどこに続くのか分からないが、誰かが敷いていくのだろうと思っていた。

そして、私の命は自分のモノという意識が希薄になった。

だから、それを失うことは怖いこと、と思う気持ちも薄くなった。

 

実際の人生は、自分の選択も大きいが、受験生にとって回りが決めた進路はレールのように強固なものである。

 

大学に入ると、私のように悩んで受験生活を送った人もいれば、そういう意識もなく難関大学に余裕で入る人もいる。

後者は、都会の著名進学校の学生に多いように思う。

 

今回の犯人は、名古屋の超進学校の生徒で、報道によると東大の医学部(理3)を目指していたようである。

一般の目で見れば、医者になるなら別にどこの大学でもいいし、国家試験さえクリアすれば良い。

おそらく彼に敷かれたレールは、目的地が東大医学部というものだった。東大(=トップ)という肩書きが回りの人は欲しかったのだろう。

 

東大医学部を目的として何年か生きてきて、自分の存在はそのレールの上にしかない。

レールから外れるのは、死と同じである。そして命は自分のものではない。

自分の命は希薄なものなので、他人の命はなおさら軽い。

 

彼は、これから少年院か、更生施設に入ることになるだろう。

とりあえず、そこで敷いてくれたレールの上で、更生プログラムをこなすだろう。

そこで、彼は自分の命を実感するようになるだろうか。