こんにちは。
ご無沙汰しております。
いかがお過ごしですか?
私自身は変わらず元気にしています。
2月後半から、コロナウイルスの
感染拡大を最小限にする対策で、
予定が色々と変わりました。
3月のカドベヤでのワークショップの
案内役は、辞退させて頂いたのですが、
出来る限りの対策をして、
リラクゼーションサロンと
デイサービスでの
仕事も、おかげさまで
今まで通り続けられています。
そして、アレクサンダーテクニークの学校
ボディチャンスでのクラスは
ほとんど通常通り行われていますが、
アメリカから来日する予定だった
トミートンプソンさんが、
来日した後、自国に帰れなくなる事を
危惧されて、来られなくなりました。
そのかわりに、生徒はzoomセッションを
スタジオで受けたり、映像を家で観たり出来るようにしてもらえました。
先日スタジオに行って映像の声を聴き、
同時に通訳さんの声を聴きながら、
スタジオにいた人達とワークができました。
トミーさんは自分の書いた本を読んで、
それから私たちに指示してくれました。
本の内容は、(私の解釈が入っています。これから翻訳される予定だそうです。)朝目覚めるときに、私という認識がもたらされるけれども、その認識が生まれるわずかな瞬間というものがある。
その「これは私だ」という感覚は、今まで生きて来たストーリーで、過去のものなのだという事、
「これは私だ」という感覚の現れるほんの少し前の意識は、何者でも無いピュアな状態で、そうした自分が何者であるかというストーリーへの愛着を一旦手放し、周囲との関係性に身を置く事もできる。
そういう内容のものでした。
そして、クラスメイトと2人組になり、身体のデザインを機能的に使っているかを観察して相手に手を触れるのと、
相手の事を誰であるかという判断をせずに、観て
手を触れる
その2通りのタッチの違いを実験しました。
自分が誰であるかという意識と同様、他人が誰であるかを判断しようとする意識は、非常に素早い反応で、自分を敵から守る為の大切な習慣です。
それでも、目の前の人を先ずどの様な人かを判断せず、その人の前に立つ事は、その存在全てをそのまま受け入れる事になり、判断しようとする観察よりも、ずっと広い視野に立ち、暖かい感情が生まれて繊細な気づきを相手にもたらす事が分かりました。
トミーさんの言葉によると、
相手の存在に触れるという体験でした。
実際にトミーさんがいたなら、
トミーさんの手を触れられ、
色々な気づきが起こる体験をする事で
沢山の学びが出来るのですが、
それが出来ない状況で
オンラインを使って
こうした実験が出来た事を
素晴らしいと感じました。
人は、自分の使い方次第で、
そして人の作ったテクノロジーも、
同じように信頼できる
ものになっていく。
そんな可能性を感じました。
自分のストーリー、個性というものは、
一度手放す事で変容して行ける。
自分の文でどれだけ伝えられるか分かりませんが、そんなレッスンの一コマを書いてみました。
ここまで読んで下さり、ありがとうございます!

