さて、二つ目ですが、領有権について、その領土の大小は問題にはならないのはむろんのこと、
近代ではそれらを含む領海や接続水域が絡み、非常に広大な面積がことさらにそれらの問題を
複雑化させているようです。
竹島(独島)は日韓国交化交渉において、その問題を棚上げ状態としたまま推移したのですが、
60年代以降、実効支配を次第に強めた韓国が施設の建設など現在にいたっては完全にその
支配権を有しているのは報道の通りかもしれません。歴史的には双方がその正当性を主張しあう
わけですが、ここに至っては「共同管理」ぐらいしか解決策を見出せないのではないでしょうか。
いくら歴史において正当性があろうとも、現実には紛争戦争によりそれらが覆ったというケースは
ごまんとあり、そらなら、戦争でというわけにはいきませんし、ジャンケンということもできません。
韓国はことさら「歴史認識」について様々な提案をしていますが、その歴史観についても、立ち位置
が代わると全く異なった見解が取られることはごくごく普通であり、一方的見解が双方に認知される
ことはありえません。「日本海」の名称を「東海」に変えようという意図も、大陸側からだと、確かに
東に位置する海ですから、当然かもしれませんが、それを日本側からみると「西海}となるわけで
到底受け入れることのできない名称となります。
竹島も尖閣もその地政学的位置からして、その領有権がどちらに及ぶのかについては、近代に
おいては、あまり意味をなさないことといえるでしょう。交通手段の著しい発展により簡単にそれらの
海域にたどり着けるし、むしら、それらをどのように管理し、活用していたのかが問われなければ
なりません。天然ガスなど海域下に眠る膨大な資源こそが「領土問題」に油を注ぐことになったのでは
ないでしょうか。 → 続く次回に