葦の髄から天井を覗く
細い葦の茎の管を通して天井を見て、それで天井の全体を見たと思い込むこと。自分の狭い見識に基づいて、かってに判断することのたとえ。
きっと、私との会話から、様子から、言葉から
感じて、勘ぐって、評価してくれてたのでしょう。
それでも、私の愛する人が、
私ではない誰かから、私の周囲へ、
揶揄され、私が思ってもいない一言で称されるのは、
とても、悲しかった。
後から、心が、チクチクする。
私だって
彼の「天井(=全体)」を見た訳ではない。
彼だって
私の「天井(=全体)」を見た訳ではない。
結婚して、一緒に過ごして、1年にも満たないけれど。
もう、私たちの「天井」は、互いの存在なくしては語れないと思う。
だから、私はここまで、
自分事のように、悲しむことができるんだ。
笑顔でやり過ごしたその日の晩、
詳細は言わず、悲しい事があったことだけ伝えて「傍に居て欲しい」と頼んでみた。
彼は、私の踏み込んで欲しくない領域を理解しているようで。
詳細は聞かず、ずっと腕の中、胸の中に抱き寄せてくれた。
私が寝付いた後、別の寝床に逃れていたらしい。
翌朝、『身体は熱いし(※)寝言も言うし、涎垂らすし大変だった』と笑っていた。
※発熱ではなく、寝ている時に放熱する深部体温の事。
この温もりを、優しさを、幸せを。
私がちゃんと知っていれば良っか。
なんだか、そう思えた。
大好きな人が繋いでくれたこの縁を、
私たちはずっと大事にしていきたい。
悲しい気持ちはここに残して、
私はまた笑顔で頑張っていく。