妻が亡くなってから、もう一年と三ヶ月が過ぎようとしてます。
ブログは全然書いてないですが…。短いようで永い時が経ってますね。読んでる人はいるのかな?


今でも 妻のことを思い出さない日はありません。亡くなってから半年~一年近くはほぼ毎日のように 早く妻のところに逝きたいと考えてりましたが、最近はそう思うことも少なくなり、思い出すことは妻が死ぬ間際に「かつん、愛してるよ」って言ってくれたこととか、妻と行った旅行のこととか楽しかった思い出となってきてます。

しかし 最後はあの時こうしてれば、あぁしてればと最後は後悔し反省し終わることがほとんどですがねしょぼん

早く気づいてあげてれば、肝炎の原因をもっと医者に追求していれば…とか、死ぬ前日の造影剤の投与を俺が許可しなければとか… 答えの出ない後悔を…
最後はそんなところにたどりつく毎日かな?

周囲の知人に話せない 女々し自分を暴露するブログになってしまってますね

ここにブログしようと思った本来の趣旨から離れてきちゃってごめんなさい

再生不良性貧血という病気の方々に少しでも力添えになればと考えて始めたのにね。イカン イカンしょぼん

あっ 妻は亡くなりましたが 最後まで 諦めずに 治療に耐え頑張りました。妻は「頑張る」って言葉は解らずにイライラしてましたが、周囲からは充分に治療に耐え生きることや痛みに耐え頑張っているのが解りましたし、その姿は今でも俺 尊敬してます。
諦めずに生きましょう
本人は解らずとも 周囲が認めてることって意外とあるものですよ
この病気になったのなら、余計にそのことが感じられるはずだと思うんです。人間、独りでは生きれないって。
だから これ読んで なんでも感想や質問ぶつけてくれれば嬉しく思います。
妻も言ってました。「このまま勉強していったら、かつん 医者になれるんじゃない?」「なんで医者にならなかったの?」ってね ちょっとは知識あるつもりだし、この病気の人の気持ちがわかるって訳じゃないけど、わかってやろうって気持ちは本当ですから。
落ち着いてきたかな?
七七日も過ぎ 職場も本格的に復帰して 仕事最中はほとんど妻のことも考えず生前同様に 職務をこなすことができるようになりました。

ただ 一人になるとやはり 妻のことを考えてしまいます。 早く 妻の傍に行きたい!そんなこと考えちゃいけないを繰り返してます。
前 昔を悔やんでも… もう 帰ってこない だから 悔やむのはやめよう…って

でも今でも これだけは納得できてないことが。 何故 妻が再生不良性貧血に… 妻も何故こんな病気になったのかを知りたがっているのではと…

原因は不明。肝炎も原因不明。 骨髄移植後、通常よりの期間空きで生着前に心停止…
重症 賭けの治療だったのは俺も妻も知っていたけど 移植後に日に日に変化していく妻の病状(良くなることなく)
この治療が最善だったのか… しない方が…
根本的に 再生不良性貧血の診断自体を疑ってみたり。

でも 今は前向き 俺が生き続ける 愛し続けることが 妻の供養になると考えてます。

次回からは 覚えてる限りの 妻の闘病経過や治療内容を 同じ病の方達の参考になればいいかなって 残していきたいと思います。
遡ること五ヶ月前から話ていきますね。
妻と知り合ったのは 私が35で妻が25のとき 3ケ月で同棲、一年で結婚。
結婚後 一年3ヶ月で妻が他界。昨年の12月です。

昨年の8月までは健康そのものだったのに・・・ 入院3ヶ月一度も退院することなく 逝ってしまった 入院している間に 胆嚢の摘出、妻の母の死亡 、一年目の結婚記念日、妻の誕生日。

なんなんだろ? わかりません。
どう落ちつけばいいのか これからどうやって 生きればいいのか。

知り合ったときに 妻に言ったことがあります。 俺は妻を幸せにするために生まれてきたんだって もし 今まで 幸せじゃなければ 絶対にずっと幸せにする。もし幸せを感じているなら それ以上の幸せを妻に与えるんだ それが 俺が生きてる 産まれた理由なんだろって。

どうだったのかな? 入院中 嘘いっぱい つきました。治ったら 実家帰って 田舎で ずっと一緒にいよう。子供は 一番目は女の子で・・・ 絶対そうするから 治れ!って
俺が病院から 絶対に連れて帰る。 リハビリとか 関係ない。妻は早く家に帰りたがってた。 だから 先生がなんと言おうと 俺が 白血球増えて 感染心配なくなったら 連れて帰って リハビリは俺がやってやるからって。

治ったとき 退院後のことをいっぱい 約束したのに・・・



ここ 始めたのは この病気を知ってもらいたかったのと 同じ病気で闘ってる方々に参考になることがあればと思い 登録したんだけど まだ 早かったかな? 自分自身の整理ついてないm(_ _)m