あみいろ。

あみいろ。

あるがままに

Amebaでブログを始めよう!

最後の更新から1年以上が経過し、あれからずいぶん環境・状況が変わりました。

 

2020年1月から3years diaryをつけはじめ、2年目に突入。

ブログもいいけど紙の日記もまた違う良さがあってお気に入り。

 

アメブロのブログ作成画面も変わっていて時間の流れを感じる…。

 

幼稚で稚拙だった、このブログを始めた当初から見てくれているひとがまだここにいるのかわからないけど、たまにはここにきてなんでもないことなど呟いていこうかなと。

Yahoo!からのブログを移行したけど、鍵付きにしていた書庫は上手く引き継がれていなかった。

書庫の編集ができるのは今月初めまでだったようで、一足遅かった。

整理し直すかそのまま放置か・・・迷うな。

色々と整理しないといけない。

周りはどんどん変わっていくのに私はまだ同じところでウジウジしてる。

毎日毎日、未だに憂鬱で救われない。

あれから一年以上が経ったけど、状況は悪化している。

土曜日から世界の色が変わった。

人の死が、その可能性が身近にあるという事実。

仮にそれが本当になってしまったらきっと変わるどころか色なんてなくなってしまう。

 

もちろん良くなってほしいしこの不安が早く消えたらとは思うけど、こんなことになってまで私は私自身のことが一番かわいいらしい。

 

「絶対に許さない」と思った。

私を一人にしたこと。

孤独をまた感じさせたこと。

我ながらそんな思考がどこまでも自己中心的で嫌気がさす。

 

あのとき「きっとまた同じようなことが起きる」と、「そんなことは絶対にない」と言わせるために、それを聞いて安心するために言ったそれは現実になった。

同じようなこと、どころか今度はもう誰のことも責めることはできないし死の危険すらある。

病魔なんてどうしようもない。

音もなく近づいてくる。

 

私は優しくない。

 

悲しいやさみしいや不安を抱えたまま取り残されて、でもおとなしくそれは美しい愛をもって帰りを待つ、という恰好をしなければならない。

綺麗な写真を送って心配しているメッセージを送って。

もちろんそれは嘘ではない。

ただ、私は私で溺れながら大量の水を飲みながらそれをしている。

生きているか否かの確認を毎朝する。

そんな苦しみ彼にはわかるだろうか。

私には彼の病魔に襲われる恐怖はわからない。

 

本当は喚き泣いて絶叫したい。

 

きっと帰ってきても私が彼に頼るなんてことはできない。

だってきっとそれが完治することなんてないんだから。

今まで得てきた経験に基づく不安が取り除かれることは絶対にない。

 

本当は悲しくて寂しくて行き場のない悔しさや怒りを持っているのにどこにも発散できずに無理やり飲み込んで水で流し込んで今にも嘔吐しそうになりながら平然と毎日をやりすごす。

 

窒息しそう。している。

ずっと気怠い。

悲しいことがたくさんあって、そんなときに大切な人から美しい着物と美しい手紙が届いた。

 

自然と涙が溢れていた。

溢れて溢れかえった。

 

何度も何度も読み返した。

そのたびに泣いた。

言葉では表せない、感情でも感動でもない何かに包まれた。

 

泣きながら返事を書いた。

あまり楽しいこと書けなくて、書き直そうと思ったけど、許してもらえる気がして、今の私を知ってほしくて、書き直さずに送った。

その人は普段、他人のせいで泣いたりしないみたいだけど、私の手紙を読みながら泣いてくれたそうで。

この子に降りかかるつらいことやくるしいことを全部私にと願ってくれたそうで。

間違いなく愛だと感じて、愛と表現することすら間違いであるようで、また泣けてきた。

お母さんと二人でその話をしながら泣いた。

 

あみちゃんは、透明人間みたいだねって。

繊細な、だから、優しく包み込んでくれるような人と出逢えるように。

 

手紙の中には、大好きな桜の香りの文香を初めて作って、入れた。

それにも感動してくれたそう。

伝わって、よかった。

開けた瞬間良い香りがふわっと漂ったよって。

 

来月その人に会いに行く。

大切な故郷へ久しぶりに。

 

あの頃の私は何も知らなかった。

 

ここは生きづらい

きっと愛も優しいも美しいもたくさんあるのに

 

 

 

何にか あったの あなたの苦しみを 私に下さい

あなたの苦しみは 私の苦しみ 心をだきしめたい