私は目に視えない世界を確かに感じています。


最近は、私にもよくわかっていないのですが、

たまに白いモヤのようなものが視えます。


目の疲れ?とも思ったのですが、

定期的に視えるのではなく

たま〜にチカッ!と視えるのです。


このモヤの正体は今はまだわかりませんが、

いつかわかるのだろうなと感じています。


目に視えない世界を信じるというのは、

スピリチュアルを信じていない人にとっては

なかなか至難の業かと思います。


私はお稲荷様の存在を信じていますし、

私の部屋には時々、

お稲荷様が見回りに来てくださいます。


でもそれは、

私が何度も神社仏閣にコツコツ参拝して

少しずつスピリチュアルのレベルアップを

したからわかることなのです。


参拝をして、

今日は神様が励ましてくれたなぁとか

ニコニコ笑ってくださるなぁと゛わかる゛のです。


けれど、目に視えない世界と言うのはとても難しくて

文字どおり゛目に視えない゛ので、

信じられないというパターンが多いのです。


私の両親も、私が言う事に半信半疑です。

なぜなら、゛目に視えない゛からです。


目の前にお稲荷様の姿が視えたら、

誰だってお稲荷様の存在を信じます。


神様のお姿が視えたら、

どんなに悪い心を持った人でも

本気で正直な生き方をするでしょう。


でも実際には、

まだ視えないよという方が多いのが現状です。


ですが、視えない世界が視えるようになるという事が

全てでは無いと私は思っています。


目に視えない中でその世界を信じるという事は、

それだけその人がピュアなのです。


神様は人間を皆、可愛いと思っています。

贔屓目は一切ありません。

どんな人でも可愛いのです。


私が神様とお話していた時、

本殿のお賽銭箱の前で年配のおじいさんが

一生懸命手を合わせていました。


まだよちよち歩きの小さな子どもさんも、

お母さんに教えてもらいながら

可愛い小さな手をたどたどしく合わせていました。


そんな姿を見ていたら

愛おしいと思わずにはいられません。

神様はそのような気持ちで、

参拝客を見守っておられるのです。


視えない世界は確かに存在します。


古代の人々が神様を信じていた、

仏様を信じていたという文献も

確実に存在しています。


私達日本人には、

信仰という文化や想いが

脈々とDNAに受け継がれていますので、

誰にでも視えない世界が視えるようになる

素質があります。


もし今も、自分の能力が信じられなかったり、

視えない世界が視えなくてもどかしいという方が

いらっしゃいましたら、慌てず騒がず、

自分の中に眠っている

DNAから受け継いだパワーを無条件で信じて、

諦めずに能力を磨いて頂ければと思います。