昨日は朝もはよからいろいろ準備して、法事。

ヨメはああいう場で、どう振る舞えばいいのか、正直未だに正解がわからないひなままです。


というわけで、昨日は疲れ果ててしやがれ前に撃沈ダウンダウンダウン


今日は久々に妹のましゅとお出かけしました音符


切腹後、予定よりはやくシャバに戻ってきた(笑)だけあって、お元気でなによりニコニコ


これまた久々のゆぱんきのランチナイフとフォーク


日曜昼だというのに、前半は2人で貸し切りチョキ

ラッキードキドキ


わたしの食した定食。


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気になる?コレ。

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『ばっけみそ』ていいます。

『ばっけ』は津軽弁でふきのとうのこと。


ごはんと一緒にいただく、津軽の春の味ですね。

ちょっと苦味の効いた大人の味です。



デザートはしょうがのシフォンケーキニコニコ
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のどに絶対いいよね…て言いながら食べました。



さて、今日の目的はとある買い物だったんだけど、ついわき道逸れてしまうあいバカクローバー

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いったいいつおさまるか?
このクローバー収集癖(οдО;)





あれから2ヶ月経ちました。

ずっと3月11日のことを書こうと思ってましたが、なんとなく期を失い、今に至ります。


東北の人間としては、やはり書き残しておかねばなるまいと。


あの日の数日前、ちょっと小さめの地震があったのでした。

学校では、避難かな~?と思ったのですが、緊急放送はかからず、普通に授業を続行。


学校の先生たちと、やはりあの時は放送で指示があって然るべきじゃないか?とか、日頃からそういう態勢をとっておくべきじゃないか?とか、議論していました。


そのとき、ベテランの理科の先生が、自然を甘くみるととんでもないことになるぞ…と、ボソッと言ったの。


わたしら若造は、あはは~、そうですよね~と軽く聞き流しました。

数日後、その言葉通りの事態になるとは思いもせずに。



3月11日、わたしは会議のため、相方と青森市内に出張でした。

いつもは相方が運転してくれてたけど、その日は市内だし、たまには私が車出すよニコニコって、自分でハンドルを握っていたのでした。


途中、県南地方に住んでる生徒から私の携帯に着信がありましたが、運転中で出られなかったのでそのままにしてました。


あとで思い返せば、この時すでに県南では揺れていて、怖くなって電話してきたのでしょう。

地震の直後、かけなおしたけど、その後数日間つながりませんでした。出られなかったこと、ホントに後悔しましたしょぼん



もう少しで会議の場所へ着くというとき、急にハンドルを取られたので、雪もないのに道路ずいぶんと凍ってんな~(_´Д`)ノ~~

と、思いました。


しかし、ハンドルがまったく思うように動かせなくなり、若干パニックになったそのとき、車のナビが緊急放送に切り替わり、ものすごい地震だということを知りました。


とりあえず、そばの駐車場にとめましたが、揺れはどんどん強くなり、わたしは半べそで相方にしがみつきました。


とめた車が横揺れでスライドして、隣の車にぶつかるかもしれんと思うくらいの揺れでした。


すぐそばの電柱がゆっさゆっさ揺れ、身の危険を感じたけど、動けず。かなり強くて長い揺れが数分続き、やっとおさまりました。



会議もそこそこに、挨拶して出ようとした瞬間、また強い揺れショック!


机にもぐりましたが、一向におさまらないので、相方が危ないから外に出ようと言ったので飛び出したのでした。


とりあえず、すごいことが起きてるようなので、学校に戻らないと…

と、車でテレビを見たら、最初の地震とたった今の地震の震源地が違うと知り、全身の血の気が引いていくのがわかりました。


日本に、なんかものすごいことが起きている。

もう日本は終わりなんじゃ?

このまま日本まるごと沈没するんじゃ?

などと、いろいろなことを考えながら、相方の指示通り車を走らせました。


途中、奇跡的に旦那に電話がつながり、ムスコンを迎えに行くところだと知り、安心。


わたしは相方と学校へ。


生徒は全員1階の教室に集められていました。

すでに停電していたので、先生たちは自分のケータイで生徒の家に電話をかけまくっていました。

わたしは卒業生を送りだしたばかりだったので、とりあえずとなりの学校に水を汲みに行くように指示され、車で数往復。

となりの学校は、ちょうどその日の午前中に卒業式を終えたばかりで、生徒がいなかったのが不幸中の幸いでした。


うちの生徒は、家族が迎えに来られない子や家族に連絡が取れない子もいて、寄宿舎に泊まらざるを得ない子もいました。

不安だったろうねしょぼん


停電で真っ暗になる中、学校中のろうそくや懐中電灯をかき集め、灯りをつけました。


この頃すでに市内のスーパーでは食料の買い占めが始まっていて、生徒の分のカップ麺を集めるのがやっとでした。



わたしは、小さな子がいるからと、校長先生から帰っていいよとのお許しが出たので、帰宅することになりました。


雪が降っていました。


停電で真っ暗な街は、ランドマークが皆無となり、ふだん通い慣れた道でも、わからなくなります。

ナビがあって、ホントによかったしょぼん


いつもなら、1時間半の道のりが、あの日は2時間半かかりました。


家も停電してたので、ろうそくや懐中電灯で夜を過ごしました。


ケータイのワンセグやYahoo!ニュースで次々と知る被害状況に、ガチで震えが止まりませんでした。

朝まで、かなりの動揺と絶望感、焦燥感に支配されました。


朝になって明るくなって、やっと3月12日の記事がかけるようになったのです。



弘前は津波も建物の被害もないし、なんの不自由もなく暮らせて、本当にありがたいことです。


1年前まで住んでいた八戸が津波で被害を受け、いてもたってもいられないけど、どうすることもできなくて悲しかったなあ。


修学旅行で行った仙台や松島が大変なことになって、ショックだったなあ。


うちは家族全員無事で、ありがたかったなあ。


こないだ大阪行ったとき、タクシーのおっちゃんに青森から来たと言ったら、地震大変やったなあ、よく来たなあと言ってもらって、嬉しかったなあ。


2ヶ月経ちましたが、相変わらず厳しい状況の方々がたくさん。


とにかく、1日もはやく平穏な暮らしができるように、同じ東北人として支援していきます!!



イカレた旅も、帰りの飛行機が揺れに揺れて、浪速の国からまさかの黄泉の国へと行くかと思いますたショック!ショック!ショック!


命からがら青森空港に戻ってくると、お迎えに来るはずの旦那さんが花見渋滞に巻き込まれて来られず爆弾

待ってられんから路線バスにて弘前へ。


旅立ちのときは満開だった桜も、愛でる前に散り始めていますたショック!
しかし、夜桜はいいらしいとの噂を聞きつけ、行く気満々だったのに、うっかり酒を飲んでしまいしょぼん

昨日、やっとこさ夜桜見物に行ってきましたパー


まだまだいけるよ~、弘前の夜桜ドキドキドキドキドキドキ


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やっぱす、日本一だわニコニコ