あれから2ヶ月経ちました。
ずっと3月11日のことを書こうと思ってましたが、なんとなく期を失い、今に至ります。
東北の人間としては、やはり書き残しておかねばなるまいと。
あの日の数日前、ちょっと小さめの地震があったのでした。
学校では、避難かな~?と思ったのですが、緊急放送はかからず、普通に授業を続行。
学校の先生たちと、やはりあの時は放送で指示があって然るべきじゃないか?とか、日頃からそういう態勢をとっておくべきじゃないか?とか、議論していました。
そのとき、ベテランの理科の先生が、自然を甘くみるととんでもないことになるぞ…と、ボソッと言ったの。
わたしら若造は、あはは~、そうですよね~と軽く聞き流しました。
数日後、その言葉通りの事態になるとは思いもせずに。
3月11日、わたしは会議のため、相方と青森市内に出張でした。
いつもは相方が運転してくれてたけど、その日は市内だし、たまには私が車出すよ

って、自分でハンドルを握っていたのでした。
途中、県南地方に住んでる生徒から私の携帯に着信がありましたが、運転中で出られなかったのでそのままにしてました。
あとで思い返せば、この時すでに県南では揺れていて、怖くなって電話してきたのでしょう。
地震の直後、かけなおしたけど、その後数日間つながりませんでした。出られなかったこと、ホントに後悔しました

もう少しで会議の場所へ着くというとき、急にハンドルを取られたので、雪もないのに道路ずいぶんと凍ってんな~(_´Д`)ノ~~
と、思いました。
しかし、ハンドルがまったく思うように動かせなくなり、若干パニックになったそのとき、車のナビが緊急放送に切り替わり、ものすごい地震だということを知りました。
とりあえず、そばの駐車場にとめましたが、揺れはどんどん強くなり、わたしは半べそで相方にしがみつきました。
とめた車が横揺れでスライドして、隣の車にぶつかるかもしれんと思うくらいの揺れでした。
すぐそばの電柱がゆっさゆっさ揺れ、身の危険を感じたけど、動けず。かなり強くて長い揺れが数分続き、やっとおさまりました。
会議もそこそこに、挨拶して出ようとした瞬間、また強い揺れ

机にもぐりましたが、一向におさまらないので、相方が危ないから外に出ようと言ったので飛び出したのでした。
とりあえず、すごいことが起きてるようなので、学校に戻らないと…
と、車でテレビを見たら、最初の地震とたった今の地震の震源地が違うと知り、全身の血の気が引いていくのがわかりました。
日本に、なんかものすごいことが起きている。
もう日本は終わりなんじゃ?
このまま日本まるごと沈没するんじゃ?
などと、いろいろなことを考えながら、相方の指示通り車を走らせました。
途中、奇跡的に旦那に電話がつながり、ムスコンを迎えに行くところだと知り、安心。
わたしは相方と学校へ。
生徒は全員1階の教室に集められていました。
すでに停電していたので、先生たちは自分のケータイで生徒の家に電話をかけまくっていました。
わたしは卒業生を送りだしたばかりだったので、とりあえずとなりの学校に水を汲みに行くように指示され、車で数往復。
となりの学校は、ちょうどその日の午前中に卒業式を終えたばかりで、生徒がいなかったのが不幸中の幸いでした。
うちの生徒は、家族が迎えに来られない子や家族に連絡が取れない子もいて、寄宿舎に泊まらざるを得ない子もいました。
不安だったろうね

停電で真っ暗になる中、学校中のろうそくや懐中電灯をかき集め、灯りをつけました。
この頃すでに市内のスーパーでは食料の買い占めが始まっていて、生徒の分のカップ麺を集めるのがやっとでした。
わたしは、小さな子がいるからと、校長先生から帰っていいよとのお許しが出たので、帰宅することになりました。
雪が降っていました。
停電で真っ暗な街は、ランドマークが皆無となり、ふだん通い慣れた道でも、わからなくなります。
ナビがあって、ホントによかった

いつもなら、1時間半の道のりが、あの日は2時間半かかりました。
家も停電してたので、ろうそくや懐中電灯で夜を過ごしました。
ケータイのワンセグやYahoo!ニュースで次々と知る被害状況に、ガチで震えが止まりませんでした。
朝まで、かなりの動揺と絶望感、焦燥感に支配されました。
朝になって明るくなって、やっと3月12日の記事がかけるようになったのです。
弘前は津波も建物の被害もないし、なんの不自由もなく暮らせて、本当にありがたいことです。
1年前まで住んでいた八戸が津波で被害を受け、いてもたってもいられないけど、どうすることもできなくて悲しかったなあ。
修学旅行で行った仙台や松島が大変なことになって、ショックだったなあ。
うちは家族全員無事で、ありがたかったなあ。
こないだ大阪行ったとき、タクシーのおっちゃんに青森から来たと言ったら、地震大変やったなあ、よく来たなあと言ってもらって、嬉しかったなあ。
2ヶ月経ちましたが、相変わらず厳しい状況の方々がたくさん。
とにかく、1日もはやく平穏な暮らしができるように、同じ東北人として支援していきます
