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あみかさまの気まぐれブログ

気が向いた時しか更新しません

小学校6年間いろんなことがありながらも最後は楽しくすごせました。


6年生から塾に通い英語と算数を教えていただいてたわけですが


授業中に寝ているかしゃべっているか?どちらかで常に叱られてました(笑)


中学に入学・・・


小学校の延長戦の気分!そして中学になってクラブを決めることになったわけですが


1人で入りたいクラブに入部するのに勇気がなく、友達に付き添ってバスケットボールに


入りました。


私はキックベースをやっていたわりには運動神経はまったくありません(笑)


走る!という行動がこの世の中でもっとも嫌い!バスケットは基本走る!毎日が苦痛でした。


足上げや腹筋もメチャクチャきつくて足上げ3分とか終わった直後足がしびれるほどで


先輩も感情の起伏の激しい人が多く、気に入らないことがあると後輩にきつくあたったり


することもあり私はいつも同級生の中でも落ちこぼれていたので同級生からも白い目で


みられるようになり、私のやっている行動をみては陰口や陰で笑われていたり・・・


そんなバカにされてまでバスケットをやらなければいけないのか?


しかしそんなことを親に言えば『あほかー』っていわれることは間違いない。


何とか早くこのバスケットから抜け出したい!毎日毎日そんなことしか考えていませんでした。


1年の2学期後半くらいからバスケットをきっかけに何もかもいやでまったく集中力がなくなり


英語の塾に通っていたんですがそれもサボるようになりました。


塾の先生から家に電話がたびたびかかってきては強烈な説教をくらい、結局塾もやめました。


書き忘れていましたが4歳から私ピアノを習っていたんですが、先生も中学までに5人くらい


変わってそのたびにブランクがあったわけなんですが中学に入ってからバスケットでくたくた


なかなか練習もできないのでこれもやめました。


残るはバスケットをやめれば自由が手にはいる!!


私はバトミントンがやりたい!!そのクラブに入りたいから先輩に退部届けをだそう!!


そう思って勇気をふりしぼり先輩にお願いしました。


先輩の一言!『お荷物だから早くやめてくれればよかったのに』・・・え?


あっさりやめれてよかった反面複雑でした。


バスケットをやめて次の日にバトミントンに入部!


先輩もすごくかわいがってくれて、同級生も親切に教えてくれてほんとうに楽しかった。


そこですべてを発散できればよかったけれど・・・


家に帰ればつまらない!同級生に電話をかけていたら『早く電話をきりなさい!!』


大きな声で母がいう。


『じゃ話しに外に行って来るわ!!』 『何時やと思ってんの?アカンで!』


祖父の部屋の横に電話を置いていたので話しをしていると祖父も覗く。


監視されているようで・・・また自由を求めるようになってしまった。


私のいない家では笑い声が聞こえるが私がいるとみんな笑わない。非常につまらない。


中学2年になるころ学校で出席をとれば学校のフェンスを乗り越えて外出。


そしてある日学校でタバコを吸っていたところ先生に見つかり親が呼び出しされ


家に帰ってまたまた強烈に説教。そのさなかにタバコをみつけて吸おうとして


母にビンタをくらい『おもろないから出て行ってやるわー』


学校には行くものの途中で抜け出し家に帰ってシャワーをしてまたフラっと出かけるように。


たびたび家をあけ友達の家で泊まったりするようになり


夜は友達の友達のバイクを借りて乗り回したり思うようにタバコも吸い


警察に追い掛け回されてスリルを味わい。何もかも忘れて自由を手に入れた気分。


親がどう思ってる?周りがどう思ってる?そんなことどうでもよかった。


中学3年になり進路を決める時期がやってきた。


相変わらず私の生活態度に両親も頭をかかえていたと思います。


私は両親には弟がいるんだから私なんかどうでもいいと思っているはずとまた夜にこっそり


抜け出して遊びに行きました。


もう日課になっていたのでさらにエスカレートして3日間ほど帰らなかったんです。


そして3日後家に戻った時には玄関に父がたっていました。


父を横切ろうとした瞬間に『アホかーボケー!!』っと父が言って私は初めて父にビンタ


されました。


『お父ちゃんどれだけ淋しかったかお前にはわからんのかー?』


『ずっと探しとったんやでー』っと言いながら父は泣き崩れてしまいました。


その時に私っていったい何をやっていたんだろう?スリルはあったけど楽しかったかな?


そう思いました。


そして父が1言『お前の将来の夢はなんや?それに向かって一生懸命頑張るのが学生や』


『これからでも遅くないから真剣に取り組んでみたらどうや!』


そこで私の夢・・・


お嫁さんになること!幼稚園の先生になること!


しかし勉強はからっきしやっていなかったので何からやればいいのかわからない。


父の涙はムダにしたくない。時間がないからできるところまでやってみよう!


そう決意してある日の15の夜に私は夢に向かってそして間近に控える高校受験のために


真剣に学ぼうと勉学に励みました。


学校の先生に課題を宿題にしてもらい毎日毎日1年生から勉強しなおしました。


進路を決める三者懇談には必ず父が来てくれて一緒に進路について話あいました。


公立高校は内申が悪すぎて受けることができなかったので私立高校に行くことになりました。


私立はお金がかかるけどお父ちゃんも働き甲斐があるわ!!


受験の数学と理科はたぶん赤点だったと思う(笑)


しかし国語・英語・社会は手ごたえがあった。絶対に合格してると確信してました。


数日後合否の通知が届き、高校への切符を手にしました。


中学3年間かなりいろんなことがありました。


入院していた祖母と母の父がなくなりました。


そんな中も私はフラフラとしていてまともにお見送りもしていませんでした。


しかし死んでしまっては何もできないんやなー。初めて人の死に直面し


生きている証をつくらなくてはいけないと思いました。当時ね。


これからは夢に向かって頑張っていこうとフラフラ人生にさよならしたつもりでした。



PS:現在の私から1言


今、思い出しただけでも涙がとまりません。


たった3年間でしたが私は一変してしまいました。ただ自由が欲しかっただけなのか?


なぜこのような道に走ってしまったのか?いまだに謎!


ある意味いい思い出なのかもしれませんが、今の私からするともったいない人生だなと思います。


親や先生に反抗するその気持ちを何かほかのものにぶつけることができなかったんだろうか?


反抗すればするほど自分が損をすることになぜ?気がつかなかったんでしょうか?


とても損をした人生だと思います。


自分に対して弱くて甘えて現実逃避ばかりしていたことが原因かな?


自分の存在を認めてほしい欲求はこの時期の子どもにはあるような気がします。


いつも仲良し両親もこの3年間はケンカが絶えず離婚するんじゃないかな?と思ったこともありました。


子どものことを真剣に考えその意見の不一致からなんです。


うちの子どもがまさに今中学3年生!


私の背中を見ずに育ってくれているのかな?とたまにふと思います。


私は反抗することがすべてだ!ってくらい反抗しましたが、息子は『反抗するのがめんどくさい』


またそれもどうなのかな?って思います。


しかしそれだけ息子は大人感覚で育っているのかもしれませんね。


息子よ!母はあなたの背中をみて学んでいくわね。


★★現在進行形の話なので更新は少し遅めになります。


★★★読んでいただけたかた『いいね』『コメント』お待ちしています。


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『浮りゆ』  http://uwariyu.com/   浮気をしない本当の理由

16歳から約40年間一度の浮気もせずに、今現在に至るまで妻を愛し続けてる理由は・・・


普通より少し↑の暮らしをしていた私がどん底に・・・

浮りゆに出会えたことにより人生をみつめなおすことができました。