『ねぇ真くん。「Cry For The Moon」って知ってる?』


『水に映った月を欲しがって泣いた子供の話?』


『そう。』



絶対に手に入らないって知ってるから
安心して泣けるの。
手に入ったら、きっと色褪せちゃうのよ。



そう言って加南子さんは、小さく喘いだ。
欲望と嫌悪を彼女の中に吐き出した時、
振り仰いだ月は、雲間に醜く歪んでいた。


◆◆◆


「おかえりぃ」



玄関を開けるなりノーテンキな声がして、

麻衣がぴょっこりと顔を出した。
手には、食後につまんでいたらしいスナック菓子の袋を抱えている。
俺は大仰に溜息をついた。
なんだって、毎日こんな拷問を受けなきゃならないんだ。



「何よぅ。人の顔見るなりっ!!」



ぶうたれる麻衣を無視して、俺は自室に直行しようとした。
居間の方から母さんの声が追いかけてくる。



「真、ご飯は?」


「食ってきた」


「またなの? 電話くらいしなさいよ」



一応、言ってみるだけという口調だ。
この時間は、今お気に入りの連ドラから

一時も目を離せないのだから、
夕食の時間を大幅に遅れて帰ってきた息子のために
食事の支度をしなくて済むのは、むしろ好都合なのだろう。
しかし、麻衣は俺の後をついてきて、あれこれ話しかけてくる。



「今日のおばちゃんの肉じゃが絶品だったのに~。

お茶でも入れよっか?」


「いらねぇ。TV観てんだろ」


「でも、せっかく真帰ってきたし」



俺は振り返って麻衣を見下ろし、再び溜息をつく。
なんでこいつはいつまでもこうなんだ。


麻衣の家は、俺んちの真下にある。
同じ分譲マンションに住むご近所さんで、
物心ついた頃からの幼なじみってやつだ。


安易なドラマやマンガのお約束では、

よくある恋のシチュエイションらしいが、
普通、男女の幼なじみなんてものは、
成長するにつれて疎遠になるのが健全ってもんだろう。


風呂だの着替えだのいっしょくたにされ、

兄弟みたいに育った相手と恋人同士になるなんて、

一種の近親相姦みたいで気持ち悪い。
まして大学生にもなったら、

もう少し距離を置いたっていいんだろうに。



「ああ、ほら麻衣ちゃん。あの男が戻って来ちゃったわよっ!!」


「えぇっ!! キマコはっ!?」



麻衣はスナック菓子を齧りながら大急ぎで居間に戻っていった。
こいつと母さんのドラマの趣味はそっくりなのだ。

まぁ、こっちにも、それなりのメリットがないわけじゃないか。
ヒマな専業主婦の母さんと詮索好きな姉貴の相手を

一手に引き受けてくれるんだから。


麻衣も居間に引っ込んだので、キッチンに入り

冷蔵庫から牛乳を引っ張り出そうと屈むと、
背中が、ずしっと重くなった。



「おかえりぃ~、真ちゃん」



人の背中に尻を乗せるな、クソ姉貴。

と怒鳴りたい気持ちをグッと堪え、俺は敢えて抑揚のない声で呟く。



「――どいていただけません? 『琴絵お姉さま』」


「チッ、すっかり物分りよくなっちゃって。かわいくなーい」



姉貴はぴょいと俺の背中から滑り降りた。
姉貴のカラミは『琴絵お姉さま』と言わない限り、延々と続くのだ。
昔は俺もムキになって抵抗したもんだけど、

最近はそんな気力もない。
年上の女には、逆らうだけ不毛だ。
別に年上に限らないのかもしれないけれど。



「ここんとこ毎日遅いお帰りねぇ。やるじゃーん」


「何がだよ」



俺は牛乳パックを手にしたままキッチンを出た。
姉貴はそのままついてきて、部屋に着くなり

俺より早くドアを開けて滑り込むと、
勝ち誇ったようにタバコに火をつけたので、俺は眉をしかめた。



・・・To be continued.

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※登場人物紹介(イラスト有)2枚UPしました。

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