子どもが思春期になり、会話が減りました。
帰ってきても部屋に直行。
返事は「うん」「別に」。
目も合わない。
ずっとスマホを見ている。
友人は
「うちの娘はいつもリビングにいた」
「反抗期もなかった」
という人が意外に多いだけに、
不安になることもあります。
そして、いよいよ受験が近づき
私のほうが焦ってしまうというか
ピリピリとした緊張感に無意識に
襲ってくるように、、、。
インフルBも流行りだし、
体調を崩してほしくないから、
寒波で寒いし、食事や睡眠に
神経を使う日々。
「早く寝たら?」「手洗った?」
「それ食べて大丈夫?」
言えば言うほど、空気が張りつめていくのがわかり、
ピリピリしてしまっている![]()
そして、思春期と更年期。
ホルモンバランスの乱れた者同士で、
毎日が小さな戦いみたいだな、、、と
思うこともあります。
本当は仲良くしたいのに、心に余裕がなくて
言葉がトゲになってしまうことも多々、、、。
そして夜にひとり反省するのです。
「また言いすぎたな」と。
でも、こういう時期だからこそ思うことが
あります。
家庭料理の価値は、“今この瞬間の栄養”だけ
じゃない。
未来のこどもの土台にもなるものだな、、、と。
たとえば、会話がなくても
食卓に座っている時間って、ほんの数分でも
「同じ空間にいる」という事実が残ります。
そこで会話がはずんで
お互い笑顔で過ごせることもあります。
「今日もごはんがある」
「帰ってこられる場所がある」という安心は、
音のないメッセージみたいに積み上がっていく
ものです。
「今日もごはんがある」
「帰ってこられる場所がある」ことは
決して当たり前ではありません。
それは、私自身が子どもの頃に経験した
からこそ、心底思うのです。
とはいえ、思春期は、親と距離を取りたくなる
時期でもあります。
でも本当は、完全に親との関係を
切りたいわけじゃない。
心は揺れるし、受験の不安や怖さもある。
だからこそ、正面からの会話が難しい日には、
食卓が“接点の代わり”になってくれます。
家庭料理って、上手に作ることが価値
じゃない。
完璧な献立じゃなくてもいい。
むしろ、こんな時期は「続く形」が
価値になるのではないかと思うのです。
おかずは買ってきたもの
味噌汁だけ作った
ご飯だけ炊いた
果物を切って出した
それだけでも、食卓は成立します。
脳に良いサバ缶を活用するのも◯!
水煮缶をお味噌汁に入れても◯!
受験前は、親のほうが「ちゃんとしなきゃ」と
自分を追い込みやすいかもしれません。
だけど、親が崩れると家の土台が揺れます。
だからこそ、家庭料理は“頑張りの証明”じゃなく、家を保つための仕組みにしていい。
ピリピリしてしまう自分も含めて、今日を回す。
体調管理に気をつかって、できるだけ守る。
それは、立派なケアといえます。
家庭料理の力は、現在だけでなく
子どもが大人になってからも続くもの。
あの頃は喧嘩をしたり、会話も少なかった
けれど、ふと、お味噌汁の匂いを思い
出したり、あの時期に「食事が用意されて
いる場所に帰ることができた」ことを
懐かしく思い出したり。
それは、献立を作っているわけではなく
安心を残しているともいえるのでは
ないでしょうか。
今日もしんどい。
明日もしんどいかもしれない。
それでも、食卓が温かな安心をつなぐ糸
になってくれる日がある。
思春期のすれ違いの中でも
「帰れる場所があった」という安心は、
いつか、子どもの心の土台として残るはず。
今日の一皿は、未来への小さな貯金です。
温かな部屋でぐっすり眠れますように。
今日もおつかれさまでした。
それでは、また。
これまで読んできた本をピックアップし、料理がしんどい心に効く処方箋のような言葉をまとめたKindleを出版しました。
気分を変えるのに役立つランチョンマット。
カラーセラピー的に、レモンイエローは朝の食卓で気分を上げるのに役立つそうです。しんどい朝も気分が上がるかも!







