私には三つ上の兄がおります。

小さい頃から打てば響く子で、
いくら打たれてもぼーとしている鈍い私とは対照的でした。


私は身体が弱くいつも何かしらの病気になっていましたが、兄はいつもピンピンしておりました。


唯一ピアノを一緒に習っていましたが、
兄は上手で、大好きなエリーゼのためにをマスターするとすぐピアノ教室に通うのをさくっとやめてしまいました。

私は特に弾ける曲もないままダラダラ嫌々ながら続け、その態度から破門になりました。




兄は、常に人気者でした。
私は、常に変人でした。




ウサギとカメのようでした。



小学生のある日、
『ねぇ、どうしておはようは、おはようというのだろうか?』と変人の私は兄に尋ねました。

兄はしばらくじーと私を見て、
『おまえ、そんな事ばっかり考えよったらバカになるぜ。』

とバッサリ言い放ち、去って行きました。


一人リビングに残された私は、
そうかバカになるのか。
もう、おはようが何でおはようなのかは考えまいと思いました。





高校生だったある日、
私は兄に進路について相談しました。

すると兄は言いました。

『おまえは、何の才能もないから、とにかくコツコツ努力しなさい。勉強しなさい。俺とは違うんだから仕方ない。』


そうか、コツコツしなきゃいけないんだなと思いました。



その後、私が実力よりうんと難しい外語大学を受験し、合否通知が届いた時、緊張しながら封を開けようとしていたら、


『おい。安心しろ。落ち着け。落ちているから。緊張するな。』


と言って安心させてくれました。


まさかで合格していたのですが、

『もう1度、確認しろ。間違っているはずだから』

と、念を押されたので見直しましたが合格していたのでそれを伝えると、


『おおおおおお!!!すげえ!!!奇跡だ!!!』
と、とても喜んでいました。



大人になってからも私が挫折して落ち込んでいると、家に来てくれ、

私に、

『おまえに起こった全ての悪い出来事は、
全ておまえのせいだ。誰のせいでもない。おまえが蒔いた種なんだ。』

と、言っていました。

私が泣くと、笑いながら私の頭をボコン!と強く叩き、

何でこのタイミングで叩くのよ!と怒りながらまた泣くと、

もっと笑い、『泣くな!』と言ってまた頭をボコンと強く叩きました。


なんちゅー兄だと思いました。


それでも、その時の兄の笑顔は忘れません。

とても温かい笑顔でした。

その数日後、最初で最期の長いお手紙メールをくれました。


そこには、

題名 兄貴ですよ

どうも兄貴です。

まぁ、なんつーか心配はしよらんがヘコんどったらいかんので、
見よるか見よらんか知らんがメールしてみようと思います。

まず、言いたい事は、
俺よりもヘビーな事を体験したお前は、
俺よりナイスな人間になる可能性が多々あるという事。

人間は振り子が振れれば振れるほど、
+にも-にも行けると思うので、
今現在、人生で最悪の-を経験したお前には、
人生最高の+が待っていると思いなさい。

一分一秒たりとも疑わずに思え。
初志を貫徹する鉄の意志を持て。

心の中で常に思っていれば、必ずそのようになる。間違いなくなる。

これから先、まだまだ人生は長いので、
きっと今のお前の体験や思いが、お前のプラスになると思う。
限りなくプラスになると思うぜ。


苦しくても登っていけば、違う景色が見えるはず。
とにかく頑張れ。


と書かれていました。
お互い20代の頃です。



その後またひどい挫折をした時、やさぐれてうらぶれて冷たい目をしていた私に、

兄はまた笑って言いました。


『崖を登るときは、目の前が崖の壁しか見えないから自分がどこに居るのかわからないものだ。でも、おまえ、あとちょっとだぜ。あと2センチくらい。もうちょっとで見える。』


私はその時、うるせーよと言いました。

すると兄はまた笑って、

近所の神社でやっているお祭りに私を誘いました。

行かないと言うと、


えーーーいこーーーよーー

いこーーぜーーー

いいやん、いこーーぜーー

あみちゃんいこーーーぜーーー

としつこく言いました。



そんな事を言う人ではないので、
気持ち悪いな〜と思いながらも、
家族も一緒にお祭りに行きました。



何故かお祭りの間ずっと周りが輝いて見えました。お盆の神社だからかなと思いました。



その数日後、兄が倒れ、

4年間闘病生活を送りましたが先日亡くなりました。


その間に、私はたくさん勉強しました。

病院でやれる治療がもうなかったからです。

兄を治そうとして3年間とにかく必死でやりました。


兄の施術をしている間、たくさん話ができました。私は最初辛くて毎回泣きながら帰っていましたし、感情移入してしまうもので自分も帰ってから倒れるくらい疲れていましたが、

途中からは兄弟で大笑いしながら施術しました。
疲れるどころか元気になるくらいでした。




それで、結果的に私はヒーラーになったし、
今もそれを続けられています。



仕事が忙しくなり、
ヒーラーとして、ぶれない精神力をやっとここまでは身につけられたなと自分である程度実感し始めた頃、兄が亡くなりました。



最後まで、アホな妹に大事な事を教えてくれた兄でした。



ヒーラーを辞めようかなとも考えましたが、必要としてくださる方がおられる間は続ける事にしました。


私は末期の病状の方を治せません。
だから、ちょっと不調を感じるくらいのまだ元気な時に皆さんに来て頂きたいと感じます。



皆さんに心から感謝しています。
ありがとうございました。