◆今日の御言葉◆

心を動揺させないで、ただ主キリストを信じなさい。もしだれかに、「なぜキリストを信じるのか」と尋ねられたら、いつでもその理由を話せるようにしておきなさい。ただし、おだやかに、真摯な態度で説明すべきです。

(ペテロの手紙Ⅰ 3:15)

 

but sanctify Christ as Lord in your hearts, always being ready to make a defense to everyone who asks you to give an account for the hope that is in you, but with gentleness and respect; 

(1 Peter 3:15)

 

■所感と祈り

むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。(新改訳)

心の中でキリストを主とあがめなさい。あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。(新共同訳)

 

福音を伝えることと「なぜキリストを信じるのか」は分けて考える必要があります。

福音は歴史的な事実に基づいた不変のものですが、「なぜキリストを信じるのか」は信じるそれぞれの人に個別に与えられた経験に基づくものだからです。

私たちがキリストに導かれた経験は、だれにも否定することができないことです。

どのような教理や哲学、思想によっても曲げることのできない私たちそれぞれの経験なのです。

その経緯を簡潔に説明できるようにすることはとても大切なことなのではないでしょうか。

 

「心の中でキリストを主としてあがめなさい」

私たちが証をするときにいちばんブレてはいけない軸がこれなのだと思います。

私たちはキリストを主として歩む者です。

この軸は、周囲にどのような状況が迫ったとしてもブレずに保ちたいものです。

私たちの立場は明確です。

 

「あなたがたのうちにある希望について説明を求める人」

私たちがキリストを信じない人と同じような生き方をしているなら、だれも私たちに説明を求めることはないでしょう。

「どうしてあなたはいつもそんなに穏やかにしていられるのですか」

「どうしてあなたはいつもそんなに喜んでいられるのですか」

「どうしてあなたはいつも感謝していられるのですか」

などと他の人と何か違う点を感じ、不思議に思ったときにどのような希望があるのかを尋ねるのではないでしょうか。

そのようにキリストの香りや輝きを放つような信仰者になりたいものです。

 

私たちの希望に関心を持った人は、キリスト教の教理を知りたいのではなく、私たちの内側から流れ出る希望について知りたいのです。

その点を間違わないで説明する必要があるのではないでしょうか。

そのためには、神様が私たちに良くしてくださったこと、導いてくださったこと、恵まれたことを話せるように用意しておけるなら素晴らしいことです。

 

主よ。私たちをこの救いの道に招き入れてくださったことを感謝します。

主が良くしてくださったことを記憶にとどめさせてください。

主によって平安を与えられ、感謝と喜びと潤いのある歩みを経験できたことは何物にも代えがたい素晴らしい恵みです。

この恵みを証することができるようにお導きください。

主の御名によりてアーメン。

 

清水雅夫 

アメブロ「毎日の聖書」:https://ameblo.jp/amfamily/

日本語聖句:リビングバイブル(いのちのことば社発行)から引用 

Scripture quotations taken from the NASB. http://www.lockman.org/

 

「シャイン ジーザス シャイン」

https://www.youtube.com/watch?v=_aSSo1ubUFQ&list=PLNNRDx4Q3EC7P5Z-TI7lKy2fJ8ISoUlNG&index=61&pp=iAQB8AUBsAgC

 

 

◆今日の御言葉◆

しかし、真理である聖霊が来られます。その方の指導を受けて、あなたがたもいつか、すべての真理を知るのです。聖霊は、自分の考えを述べたりしません。ただ、聞くままを伝え、やがて起こることについても話します。

(ヨハネの福音書 16:13)

 

But when He, the Spirit of truth, comes, He will guide you into all the truth; for He will not speak on His own, but whatever He hears, He will speak; and He will disclose to you what is to come.

(John 16:13)

 

■所感と祈り

しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。(新改訳)

しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。(新共同訳)

 

イエス様は十字架に向かわれる前夜に弟子たちに愛をお示しになり、いくつもの大切なことをお話しになられました。

今日のみことばは、その中の一つです。

 

「さて、過越の祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られたので、世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された。」(ヨハネの福音書13:1)

 

「真理の御霊が来る」

弟子たちに御霊が来ることを約束なさいました。

イエス様はその御霊について「もうひとりの助け主」(ヨハネの福音書14:16)であると説明しておられます。

その助け主はいつまでも共にいてくださるお方です。

このお方は今、私たちと共にいてくださっています。

 

「すべての真理に導き入れます」

真理の御霊は私たちに何をしてくださるのでしょうか。

イエス様は次のように説明しておられます。

 

「助け主、すなわち父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」(ヨハネの福音書14:26)

 

私たちには人生を導く専属のガイドがついているのです。

そのガイドの導きに従うことが大切です。

事あるごとに「どうしましょうか」と相談しましょう。

そのような従順な信仰姿勢が私たちの歩みを安全なものにします。

そして私たちに平安を与えてくださるのです。

 

「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。」(ヨハネの福音書16:33)

 

主がいつも共にいてくださいます。

勇気を持ちましょう。

今、試練の中にあるかも知れません。しかしそれはいつまでも続くものではありません。

 

「あなたがたは悲しむが、しかし、あなたがたの悲しみは喜びに変わります。」(ヨハネの福音書16:20)

 

私にもとてもつらい時期がありました。

そのときに作った歌が下記リンクの「悲しみが喜びに変わる日」です。

作曲中に行きづまりましたが当時通っていた教会の兄弟が助けてくれて仕上がったものです。

自分に言い聞かせながら歌っています。

この証を共有します。

 

主よ。いつも共にいてくださることを感謝します。

私たちに平安を与える計画を立ててくださることを感謝します。

今、悲しみの中に置かれている兄弟姉妹をお支えください。

つらい状況の中にあっても、主にある喜びを感じることができるようにしてください。

主の御名によりてアーメン。

 

清水雅夫 

アメブロ「毎日の聖書」:https://ameblo.jp/amfamily/

日本語聖句:リビングバイブル(いのちのことば社発行)から引用 

Scripture quotations taken from the NASB. http://www.lockman.org/

 

「悲しみが喜びに変わる日」

https://www.youtube.com/watch?v=xAEXZrNI8Ao&list=PLNNRDx4Q3EC7A1ZDfwdWNKHM5SoV-b4Xo&index=24&pp=iAQB8AUBsAgC

 

 

◆今日の御言葉◆

しかし、私たちがまだ罪人であった時、神はキリストを遣わしてくださいました。そのキリストが私たちのために死なれたことにより、神は私たちに大きな愛を示してくださったのです。

(ローマ人への手紙 5:8)

 

But God demonstrates His own love toward us, in that while we were still sinners, Christ died for us.

(Romans 5:8)

 

■所感と祈り

しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。(新改訳)

しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。(新共同訳)

 

「私たちがまだ罪人であったとき」

私たちの行いや状況とは無関係に注がれる神様の愛が示されています。

私たちが立派でもなく、悔い改めるでもなく、それどころか見向きもしないときから、すでに神様の愛が注がれていました。

愛される資格もないような私たちのために神様は私たちを愛し、救いのご計画を進めておられたのです。

 

「キリストが私たちのために死んでくださった」

神様が私たちのために払われた代償はとてつもなく大きいものでした。

私たちが受けるべき罰を神様の御子であられるキリストが代わりに受けてくださいました。

そのことによって私たちが救われるために必要なことは、信仰だけになりました。

 

「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」(ローマ人への手紙10:13)

「ぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。」(ローマ人への手紙10:9)

 

「神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます」

神様の愛は漠然と示されているのではありません。

宗教的な概念の中で自分とは無関係に存在しているのでもありません。

今のこの瞬間にも私たちのそれぞれに個人的に注がれているのです。

この世界を創造された偉大な神様が、御霊を私たちのうちに住まわせ、個人的な関わりをもって存在しておられます。

 

「主は、私に耳を傾けられるので、

私は生きるかぎり主を呼び求めよう。」(詩篇116:2)

 

主よ。この心に思い描くことが御心にかなったものになりますように。

正しいふるまいや行動ができるように、そして、人の心を傷つけない言葉を語ることができるように整えてください。

主がどれほど人々を愛しておられるのかをわきまえ知ることができますように。

主の御名によりてアーメン。

 

清水雅夫 

アメブロ「毎日の聖書」:https://ameblo.jp/amfamily/

日本語聖句:リビングバイブル(いのちのことば社発行)から引用 

Scripture quotations taken from the NASB. http://www.lockman.org/

 

「愛すると語る主」

https://www.youtube.com/watch?v=TeQDJVXJp-8&list=PLNNRDx4Q3EC5ihFomsRaEcgjlx8ApeHPB&index=54&pp=iAQB8AUBsAgC