今日は理佐がうちに来ていた。

朝から雨が降っていたから、止むまで私の家でゆっくりすることになった。
雨は昼過ぎから止むらしい。
理佐が新しいイヤリングを買いたがってるから、近くのショッピングモールにでも行くのかな。

まぁ私はどこでもいいんだけどね。


「 ん?まなか何やってんの〜 」


私のベッドで鼻歌を歌いながら雑誌を読んでた理佐が、のんびり起き上がってきた。


「 見れば分かるでしょ〜ネイル! 」

「 ほんとだぁ。…ふふ、驚かしちゃおっかな 」

「 えっ!?ちょ、やめてよ 」

「 んふふ、振り?笑 」

「 待っ、だめ、絶対だめ! 」

「 はいは〜い 」


ニヤニヤして楽しそうな理佐を横目に、集中してブラシを爪に滑らせた。
今日は赤のネイルにした。理由なんて特にないけど。


「 赤ってかわいいよねぇ 」


ニヤニヤが収まったらしい理佐が、ソファーに座ってる私の隣に座り込んできた。


「 だよね〜、でも色目立つし綺麗にやんなきゃ 」


私は生憎手先が器用な方ではないから、こういう細かい作業は人一倍神経を使う。
独特な匂いに口呼吸しながら、ギリギリまで爪を顔に近づけた。


「 …ん〜〜っ、、、 」


と、その時。
急に、


「 …、まなか? 」


名前を、呼ばれて。


「 んん?なに、いま真剣に、 」


やってるから、あとにして。

言葉の後半は手元の赤い液体に飲み込まれた。


ちゅ、と小さな音を立てて、温もりが頬から離れた。


「 …え 」

「 …んふ、 」


幸い、最後の小指の爪は塗り終わっていた。
けど、


「 、ちょ、待って… 」

「 ふふ、 」


ちゅ。

ついさっきまで人様のベッドでぐうたらしていた茶色の髪が、揺れて、悪戯に微笑んだ。


「 っ乾かさ、なきゃ、ちょ… 」

「 うん、いーよ、乾かしてて 」


いや、だから。
冷静に両手を伸ばせないこの状況は、誰のせいだと思ってるんだ。


「 手ぇ動かさないし、邪魔しないから 」


そういう、ことじゃなくて。
ていうか、邪魔は、してるでしょ。
現在進行形で。


ちゅ。


「 っ、 」

「 …ふふ、まなかのほっぺやらか〜い 」

「 、ば、か 」


ちゅ。


両手の爪が完全に乾くのに、あと何分もかかるのに。
それをいいことに、この人は、私への悪戯を一切やめる気がないようだった。


「 っねぇ何、ほんとに、! 」

「 はいはい、 」


顔やら耳やらが赤くなっていくのが自分でもよく分かる。
照れ、というか。
恥ずかしくて堪らなくて、とりあえず抵抗してみたけれど、何を言っても理佐はその綺麗な顔をニコニコさせたままだった。


ひゅん、と。

何がどうなったのか知らないけど、ちょっと、私も気が変わった。


隣から近付いてきた理佐に、さっきまでみたいに、反射的に目を瞑るんじゃなくて。

ネイルが付かないように両手首を軽く内側に曲げて、腕を理佐の肩にひっかけた。


「 っえ、 」


やさしい声が動揺した。


ちゅ。


「 …え、 」

「 …ふふん、 」


我ながら、いまの反撃は上手だった。
口角が上がった。

さっきまでしたり顔だった理佐は小さな口を半開きにして、ぽかんとこちらを見つめた。

りさのばーか。


ちゅ。


「 、っえ、まなか、 」

「 なに、最初にやってきたの理佐だもん 」

「 そー、だけど…爪、つくよ、 」

「 つかない 」


ちゅ。


ベッドの上に適当に置かれた雑誌が、エアコンの暖かい風を受けてひらひらとページを舞わせた。
ソファーの前のテーブルの、さっきまで私が握りしめていたネイルのブラシは、蓋をきちんと閉め忘れて少し硬くなっていた。

テレビもついていなければ、車の騒音や小さな子供の泣き声もしない柔らかな静寂の中で、聞こえるのは小さな私たちの話し声と、小鳥の愛の囀りだけだった。


「 、まなかのばぁか 」

「 ふっ、なにそれ 」

「 んーん…、 」

「 りさのばぁーか 」

「 …っんふ、はいはい 」


雨は止んでいた。

赤のネイルももう乾いていた。


りさは欲しがってたイヤリングのこと、忘れてないかな。
まあ忘れちゃってもいいんだけど。


「 まなか 」

「 なにぃ、 」

「 …ふふ、すきだよ 」

「 …ん、…まなかも 」


長い睫毛が、私を見つめていた。



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結局20分くらいして、思い出したように家を出たけど。


ほんの少し擦れた跡がある右手の親指の赤い爪と、
前髪が崩れてないか手鏡で自分の顔を確認した時の理佐の、唇についたリップを見るなり クシャッと笑った時の顔は、きっとしばらく、私の脳内にこびりついて離れないだろうな、

なんてね。