クリスの荷物は、たった二つの鞄だけだった。

叔母さんから譲り受けた、ところどころ色の禿かかった古くて小さなスーツケース。

それらの中には、衣類が少しと、今まで使っていたテキストの類い。それだけ。

ここに来る前に、いらないと考えたものはすべて捨ててきたのだ。

「君が来るって決まってから、荷物が届くかなってずうっと待ってたんだけど・・・

他に何かないのかい?」

「本当にこれだけなの」

とっくに冷めてしまったコーヒーを一気に飲み干すと、一瞬背中がゾクゾクした。

『ホントに何もないのね。女の子じゃないわよ!あんた、ここに何年いたと

思ってるの?』

叔母は呆れたように溜息を洩らしていた。両手を腰にあてがいながら、彼女は

深く息をついたのだった。

ベッド。タオルを巻いた枕。色の褪せた、オレンジ色のカーテン。壁に備え付けの姿見。

学校に行く時用のリュック。小さなタンス。履き古したコンバースのスニーカー。


自分の部屋にあった物は、これらがすべてだった。

――あぁ、もうひとつ。スヌーピーの目覚まし時計。クリスマスにもらったものだ。

一生をそこで過ごすわけじゃない。いつかは出て行かなくてはならない日がくる。

そう信じてたから、余計なものは何一つ置かなかった。

たまに貰っていた小遣いもほとんど手を付けることなく封筒に入れてタンスの中で

貯めていた。(叔母さんのバースディと、クリスマスにはプレゼントを買うため、

その時だけは封を開けたけれど)


…これからは、目の前にいる新しい<父>と――兄か弟?にプレゼントを買って渡すの

だろうか。そして、彼らも私に――

「ね、クリス。必要なものは何でも買ってあげる。現地調達、てやつだな。あまりにも

殺風景な部屋ってのも・・・寂しい気がするんだが」

そう言って彼は「明日、買い物に行こう」と切り出し、とりあえずまかせるよう、

クリスにウインクして見せた。
クリスの鼻をくすぐったあのコーヒーの香りは、ここからだったに違いない。

彼はリクエスト通り、コーヒーの入ったカップを二つ手にして、すぐに戻って

きた。

そして、小さく咳払いをするや、「まいったな」と、もらした。

そのセリフがどういう意味なのか――彼女には理解できなかった。が、すぐに

肩をすくめると、舌をぺろりと出した。

「子供のくせに、ブラックはおかしいですか」

「いや、とんでもない!ただ・・・」

「――ただ?」

両手でバタバタ否定しながら、彼は急にうろたえだした。そして、おもむろに

皿からラップを外すと

「息子に、ね。似てるなって思ったんだよ」。

溜息混じりのその答えに、クリスは目をパチクリさせた。

――そうだ、この家には男の子がいたんだ。確か私と同じ歳くらいの。

ああ、すっかり忘れてた。叔母さんが言ってたのに。名前は・・・

「君と同い年でね。あぁ、ジョシュっていうんだ。今は・・・学校に行ってるがね」

おぉ、ビンゴ!そう、ジョシュ・ホワイト。

「君もあの子と同じ学校に通うことになる。良かったら、近いうちに手続をしに

行こうね」

サンドウィッチをつまみながら、彼はあれこれと喋りだした。

自分は小説家で、夜中にパソコンに向かっていること、朝はたいていぼぅっとして

いること、など――

「・・・なぜ、私がジョシュに似ていると思ったんですか?」

ふぃに口を開いたとたん、彼はぐっと言葉を詰まらせた。

カップのコーヒーを飲み干すと、ふぅ、と息をついて見せた。

「あいつときたら、コーヒーが好きで。朝から濃いのを飲むんだ。子供のくせに、だよ?

私には真似出来ない。・・・まず一杯のオレンジジュースか、ミルクから始めないと。

胃がビックリしちゃうだろ?」

「私もミルクから一日が始まるけど・・・今朝はいい香りがしたもんだから」

そう答えた途端、なぜだか彼は急に笑顔になって、うんうん、と頷いて見せた。



  彼のいう息子――ジョシュは、どんな子なんだろう?

喉まで出かかったものの、あえて呑み込んだ。

自分の目で確かめた方がよさそうだ。

朝から濃いめのコーヒーを飲むやつって?なんだか凄い大人ぶって、格好つけてる

やつなのかも。・・・ダサくて、笑っちゃうようなタイプだったりして・・・。

頬杖をついて口に運んだコーヒーは、とてつもなく濃くて、背伸びしすぎた味がした。

体中にカフェインが広がって、頭のてっぺんでドカン、と爆発するかも。

やれやれ、とばかり窓に目を向けてみると、パームツリーの間から青い海が覗いていた。

「――ところで、クリス。君の荷物のことなんだけど」
  義父の手は、大きくて、温かくて――指が長かった。

彼は、私のことをどう見たのだろう。

痩せぎすで、目玉だけがギョロついている、不細工な娘だと映ったとしたら、それは

アイリーンのせいだ。

彼女の若いころの写真を前に――ずいぶんと前に――たった一度だけ、叔母さんの古い

アルバムの中で目にしたことがあった。

日に日にアイリーンと似てくるわ、と言われてもの凄く腹が立ったことを思い出す。

娘を置いて出ていくよな女に似ているなんて、とんでもないことだ。

・・・が、しかし。自分はアイリーンにそっくりだった。

髪の色も、目の色も、そして無造作に伸ばしている髪の形までも。

 ところで、血の繋がりのまったくないアカの他人を<父>と呼べるのだろうか。

こんなに大きくて広い家だもの、私に一部屋くらい宛がってくれても差し支えは

ないだろうが――

彼はきっと、近いうちに自分とアイリーンのことを話して聞かせるだろう。

それがどこでどういう形で語られるのか。

・・・ここに住む以上、避けられはしないだろう、たぶん。



  彼は彼女をダイニングに連れて行くと「一緒に食べようと思ってね」と言いながら

テーブルを指差した。

大きな皿――これまた花柄――には、サンドウィッチがきれいに並べられ、パセリまで

添えられている。

四角あり、三角あり、きちんとお行儀よく皿の上で整列して待っているサンドウィッチ。

もしかして、これは――

「――私がね、作ったんだ」と、彼はこちらを察したように、カウンターの向こうで

口を開いた。そして、ミルクがいいか、オレンジジュースがいいか、とも。

「――コーヒーがいい。何も入れない、ブラックで」

椅子に掛けるよう促しながらも彼はちょっと面喰ったように眉を動かした。
  ところで、昨日の背高ノッポ氏は、どこにいるのだろう。
 
この家のどこかに必ずいるのだろうけど、今まで住んでいたアパートとはわけが違う。

家中のドアというドアを、片っ端から開けて捜してみようか。

そんなことを考えながらリビングを抜け、廊下に出たとき、壁に飾られた絵に目が止まる。

南国らしい色鮮やかな花が描かれており、なんだか甘い香りまで漂ってきそうだ。

――――と、その時、コーヒーの香りが鼻をくすぐった。どこからだろう?

香りのする方へ、まるで引き寄せられるように奥へと足を踏み出した彼女は、

今や冒険者の気分だった。

ひょい、と顔を覗かせると、そこはダイニングだった。

広い、大きな窓はカーテンが開け放されていて、目が眩むようだった。

「おはよう、クリス」

それまでの張りつめていた思いは、床にドスン、と音をたてて落ちた。

左の方向に誰か立っている。頬が引きつっていくのが、はっきりとわかった。

痛いほどに目玉をそちらの方へ寄せてみても、その姿は見えなかったけれど。

「よく眠れたかい?」

左頬に、その声が刺さる。優しい声にも拘らず、だ。

声の主はもちろん、<父>だろう。

彼女は、一瞬ギュッと固く目をつぶってからそちらに体を向け、とりあえず平静を装うべく

「おはよう」と返した。まるで泥棒のようにコソコソしている自分が、急に恥ずかしくなった。

「お腹減ってない?もうとっくに昼は過ぎてるよ」

柔らかい声だった。ハスキーがかったような。こちらを見つめている瞳も、とても優しい

ものだった。

しばし言葉を失ってぼうっとしていると、彼はちょっとだけ首を傾げた。

「失礼、改めて自己紹介しよう。私はスティーヴ。スティーヴ・ホワイト。

君の・・・義理の父親だ。仕事は・・・物書き、だな」

そういい終わるや彼は一歩前に踏み出し、右手を差し出すと「よろしくね」とも言った。
ノブがガチャリと、かすかな音をたてた。

それだけで、彼女の心臓は小心者よろしく大きく揺れ動いた。

静かに、そうっと、息をひそめて廊下に出る。まるで、誰かに観られてやしないかと

びくびくしつつ、右、左なんか気にしながらー抜き足、差し足でそろりそろりと

進んでいく。


  いったい、何部屋あるのだろう?アイリーンーは、とてつもない大金持ちと

一緒になってたんだと思うと、鼻の先から笑いが洩れた。


階段に差し掛かると、天井に大きなシーリングファンがついているのに気が付いた。

まるで、飛行機のプロペラのようなそれは今は回っておらず、つん、とすましているようだ。


ゆっくりと階段を下りながら耳を澄ましてみても、まだ家全体は眠っているのか物音

ひとつ聞こえてこなかった。


・・・この家の心臓部分はどこだろう?

階段を下りきり、左手に行くとそこはもうリビングになっていてー明るい陽射しの

中で、白いレースのカーテンが裾を翻していた。

その向こうで、何かキラキラと光っている。

プールだ。

海が近くにあるのに、プールですか、なんて贅沢な。

金持ちのすることは理解しがたいとは本当らしい。
   

   あまりにも長い長い眠りから覚めたような。

   
    
   今日はいったい何日の何曜日なのかさえ思い出せないくらいに眠り続けた、そんな感じで、


   

   一瞬記憶喪失にでもなったかと思った。



   
   手も足も、まったく感覚がない、そんな錯覚。しかし、実のところ、何のことはない、




   体全体がまだ眠っているだけなのだ。




   それにしても、どれくらい眠ってしまったのか見当もつかない。



   もう一度目を閉じてよくよく考えようとしたとき、お腹がぐぅ、と鳴った。



   そこで初めて<自分>の一部がようやく目を覚ましたようだった。



   -ちょっと待てよ?!


   
   どこかで―自分の中のどこかでーそんな信号が点滅する。



   そうだ、そうだった。ここは私の部屋じゃない。自分のベッドじゃないんだ。



   いくら寝ぼけていたって、それくらいはわかるぞ、とばかり布団を跳ね除け、



   ベッドから降りる。



   「だって」



   乾いた口から思わず洩れた声。誰に説明をしようとしているのか。それは当然自分に、だ。



   早く納得したい、させたいー気が焦った。



   私はいつも自分の枕にはタオルを巻いている。こんな花柄のピローカバーなど、使ったことがない



   もの。花柄なんて、メルヘンチックなもの、どこを探したってー



   異様なまでにドキドキし始める。この<花柄>ピローカバーに見守られて眠っていたなんて、



   何故かしら恥ずかしくなった。それは、あまりにも無防備なまでに眠ってしまっていた自分ー




   しかも、初めての土地での―に対して、だったのかもしれない。



   
   やがて、そうっと室内を見回してみた。ガラン、としていて、ベッド以外は何もない。




   (壁に備え付けのクローゼットがあることを知ったのは、そのあとだった)



   壁や天井は全体的に白っぽかったが、よく見ると、小さな花がプリントされていた。



   背後にかかっているレースのカーテンが、ふわりと揺れるのを感じた。のそのそと、腰の



   曲がった老人みたいにそのそばに行くや、カーテンを掴む手に力がこもる。途端に背筋が



   しゃきっとなった。



   <私>という私のすべてが、いっぺんに目を覚ました。



   ここは、あのボロアパートじゃない。ピローカバーよりも何よりも、ここがまるで別世界で


  
   あるということを自覚させたのは、海だった。青い海。絵やスクリーンがかかってるわけじゃない。



   頬に感じる優しい風も本物だ。



   それからはもう夢中でカーテンを開け、バルコニーに飛び出してフェンスにへばりつく。



   すぐ目の前にはこの家の屋根より背の高いパームツリーが、さわさわと軽い葉擦れの音を立ててい



   る。



   空の青さに負けないほどに眩しく、海は輝いていた。本物だった。きっと、この家のどこの部屋から




   も、この青い海が見えるに違いない。ローズバーグには決してなかったものがここにはーきっと



   ある。そう思ったとたん、意を決した彼女は一人頷くと、すぐさまドアに駆け寄った。がーいざ



   ノブを回すとなると、かなりの勇気が必要だった。



   今ドアを開ければ、昨日とはまるで違う世界がそこにはあるのだ。

今朝起きた時は吹雪だったのに、今はいい天気--!


こんな青い空を見ると,行きたくなるのがHawaii( ´艸`)


chibakenhawaii.com

この居酒屋さんに行きたい!


なんて思う私は・・・はい、嵐ファンですww



今夜から、ちょこちょこ小説をupさせていきたいと思います。

昨日から地震ニュースで、心が痛い。



いくら、地震大国でも、酷過ぎる。



宮城の友達は大丈夫だろうか、とそればかり考えて昨夜は眠れず・・・。



どうか、無事でいてください・・・