ヒンケツというものはすこぶる良くない。私の場合、年に2,3回ヒンケツに苦しむことがあるが、それはなんの予告もなしにおいそれやいそれといった感じで、いきなり私に襲いかかってくるものだからヒトタマリもない。まずは、脳をやられ同時に軽い吐き気を催す。とはいっても、実際にはいたことはない。グェッ、キブンワルイ・・と思っていると、気づいたときには視界がやられている。目の前が真っ暗になったりするんじゃない、真っ白になる感じで、なんというかそうはいっても完全に白色に視界が覆われるわけではないけれども、私はすこぶるキブン悪い思いをする。卒倒してしまっては、あとになって周りの人々にしめしがつかないから、どこか個室に閉じこもって個人的主観的療養、それはただうずくまってなるべく頭を地面によりちかく擡げようと努力するということであり、それをする必要がある。空間が解き放たれた公共という場でキゼツして倒れてしまってクソでももらしたら、それはもうその後の就職活動だけでなく、普段の日常生活にも支障がでるというものだす。「あのお方は先日鍛冶屋の前で卒倒してクソにまみれておりましたね」とコソコソと誰かに耳打ちしているのがたまたま耳にはいってきた日には、それはもう悶絶、支離滅裂、地獄絵図、憂鬱一辺倒といった具合である。
 そこで私はヒンケツという恐ろしく陰鬱な急性の発作に襲われたときには、自力で個室便所に駆け込んで、アーヤレだの、キブンガワルイだの、シヌーだのいって発作がおさまるのをまつのである。顔面蒼白、それはもう自分のその血の気を引いた顔をみると自分はつくづく根性の悪い顔をしておるなアと思うのでした。そういったときには、水とたらふくのんで、どこかで座って、フーと一息ついて十分ほどからだを椅子に任せればいいのだ。そうすると、あれはてな、と何かを思い出した時にはヒンケツの発作はとっくにどこかにいっていて、私は次回のそれに備えて、毎日生ツバを飲んではその襲来に備えているのであります。
外出先でのヒンケツがおさまったあとは、ウム、こんなところで管巻いてられんなと決心を改めてから礫を拾い上げてから、エイといって対向車線を走る人力三輪車にむかってそれを投げます。そうすると私は、いかにも自分がヒンケツから解放されたと感極まってホロイと涙を頬につたわすのでした。どうして、ヒトはもっと平和に生きられないのかしら・・・?バカヤロー。世間一般は人間性どうのこうのがどうだかしらないが、思想の下においてタバコは体に悪いなんていうけどね、どう思うねキミは。
私はね、投函の広告だけは、芋掘りにも匹敵するくらいうるさいネ!
 最近ぼくはついにやにやと口元を緩めてしまうことがあります。それは取るに足らぬことで、ほかの人がそれについて耳にすれば、何をそんなことでにやにやしているんだ、と顰蹙を買うだろうと思うのです。ぼくはつまらない人間だという印象を多くの人に植えつけてしまうかもしれませんが、それについて語るということは長い目で見て損にも得にも転がるとは思えませんのでこうして記しているのです。
 ぼくのアパートは大通りから細い路地を少し入ったところにあります。その大通りは、海へとつづく大きな川に沿って頼りない飛行機雲のように流れています。交通量は多く、朝から晩までめまぐるしく普通車、軽自動車、大型トラック、警察車両、霊柩車などが自分の力を過信したドライバーたちにハンドルを握られ西へ東へと飛んでいきます。
さて、ぼくのアパートのすぐのところにはその大通りに橋がかかっていますのでT字路になっています。そのT字路にはもちろん横断歩道が備わっているのですが、それをわたるためには、歩行者用ボタンを押し、歩行者用信号が青にかわるまで少々待っていなければなりません。ほどなく、歩行者用信号はススメの青にかわるのですが、その際、自動車用の信号はすべて赤になります。その間約30秒。交通量が多いその通りにはたちまち車が蓄積し、ドライバーたちは、「なんでこんな歩行者一人のために俺たちはまたなきゃならんのだ」というかのごとく車中でじっとしています。
 ぼくは時おり、夕暮れどきになると近所を自転車で徘徊します。そしてそのT字路へいき、これといった用もないのに、わざとその歩行者用ボタンをおし、見事すべての車の行く先を遮断し我が物顔で横断歩道を渡ってみせるのです。夕暮れどきと言えばいわゆるラッシュアワーでありますから、特に多い交通量を誇るので、いったん信号が赤になれば、あっという間に車は、排水口にたまる生ごみのように蓄積されるのです。
 ぼくはこの時、心からこみあげてくる品のなく卑しい笑いを口の中にとどめ、結果にやにやとしてしまうのです。ぼくひとりが通るために、いらいらと貧乏ゆさぶりをしながら、信号が青になるのを待つ多くのカードライバーたち。そのことを考えるだけで、自分はなにかこんな巨大な交通を操れるだけの大きな力を持っているような気がしてにやにやしてしまうのです。そして、それを終え自宅に至る帰路で空を見ると、西山へ足先だけを少し隠した夕日が、その周りを真っ赤に、また遠くの方を濃い青色でぼくのうしろのかなたまで染め上げているのです。
今日の朝はインターフォンの音で目が覚めた。玄関を開けると、スーツを着た小柄で30歳前半と思われる男の人が立っており、僕に何か冊子を渡した。男は「神」がなんやらといっていたけど、寝ぼけ眼の僕の頭には「神」の「k」の母音部分すら入ってこなかった。さっさと役目を終えた男は、帰った。僕は冊子を開けて中身を読んだ。一字一句読み過ごすまいと没頭した。気づくと僕は、その宗教に対し非常に熱心な感情を抱いていた。
そしてこう思った。

「うん、昨日のおでんには具が入ってなかったから今日は買い出しに行って、いよいよおいしいおでんを作ろう!それとなんで前の家のおじいさんは僕をいつもジロジロ見てくるのかしら。」

終わり