NICU・超出生低体重児・子宮内発育遅延・遺伝子検査・羊水検査
  • 22Aug
    • このブログを書いて

      何日かブログを更新せずにすみません。ここまで、妊娠した日から赤ちゃんが亡くなってしまう間のことを全てブログに書いてきました。私が、ブログをスタートさせたのは何年か経った時に、今回の妊娠・出産のことを何一つ忘れたくないという思いからでした。今は事細かに全て覚えていますが、やはり何年か経って、少しづつ何が起きたのか忘れてしまうのが嫌でした。それともう一つの理由は、【同じような状況の妊婦さんや、こういった状態でNICUに関係のあったお母さんの力になれば】と思ったのも理由です。妊娠期間中は特に敏感なのに、その期間にさらに【赤ちゃんに何か異常がある】なんて言われたら、気が気ではないですよね。私は、そう言われては家に帰って検索ばかりしていました。そんな時、私と同じような状況であった妊婦さんのブログなどは大変参考になったのを覚えています。1人1人状況は完全に同じではなくても、こういったブログがあったから、【私のような妊婦さんは1人じゃない。】と思うことが出来ました。このブログを読んで下さった人の中にも、こう思ってくれた人がいればいいなと思います。私の赤ちゃんは【こんな状態で生まれましたが、今では元気です!】なんて本当は言えればよかったのですが、残念ながらこういった形になってしまって、ハッピーエンドの結末ではないので、楽しいブログではありませんが沢山の人に読んでいただいて嬉しかったです。コメントをしてくれた人の中には、【泣いてしまいました。】【涙が止まらなかったです。】など書いてくれた方もいました。自分のことではなくても、私や赤ちゃんを想って涙を流してくれた人もいて本当にこちらが泣きそうになってしまったこともありました。このブログはIUGRの赤ちゃんと診断された、私の妊娠経過と出産(帝王切開)のこと、その後のNICUのことを書いたものです。赤ちゃんが亡くなるまでの全てを書いたので、もう書くことがなくなりました。なので、私のブログはここまでにしようかなと思います。このままブログは消さず、私の記録用にもここに残します。もし、質問などがある方はぜひ質問してくださいね!質問などはいつでも答えていきます。今回の妊娠・出産で学んだことがたくさんあります。いつも妊娠中に【五体満足なら性別なんてどうでもいいのよ】と周りからよーく言われていた言葉なんですが、今はこの言葉が本当に理解できるようになりました。今まではそういった言葉も【そうだよねえ】と言いながらも、その言葉の意味を真剣に感じることはありませんでした。でもいつ自分にそういったイレギュラーな妊娠・出産ケースが起きるのか分かりません。誰にでも起こりえることで、もしかしたら、周りの誰かも赤ちゃんを亡くした経験があるかもしれません。もしかしたら言わないだけかもしれません。妊娠したら、もう健康な赤ちゃんがちゃんと予定日あたりに生まれると確信してしまいがちです。私もそうでした。でもそうならないケースもあるのです。今回、妊娠してよく行くスーパーの人に【あら~3人目?楽しみ!】と言われていて、赤ちゃんが亡くなったあと、その方の存在を忘れていて同じスーパーに行くと、【あれ?!赤ちゃんはどこ?】と聞かれました。その人にとっては、単なる質問だったと思いますが沢山の人が自分の後ろに並んでいるレジで【赤ちゃんはダメだった】と言わなければいけなかったあの気持ち…生まれたと嘘をつくには、どう考えても辻褄が合わないしかと言って、適当な嘘をついてたくさん質問されても嫌だし、その日からそのスーパーに行くことも嫌になってしまいました。私が言いたかったのは、私たちにとっては単なる質問だった場合でも誰かを無意識に傷つけていることもあるのです。妊娠したくても何年も出来なかった人に、【あれ赤ちゃん作らないの?】なんて質問も同じかなと思います。。自分にとっては、単なる質問だったとしてももしかしたら誰かを傷つけてしまっていることもあるかもしれません。なので、このブログを読んで下さった方がこういうこともあるんだと思っていただけたら幸いです。日本のNICUで働いていた方から直接コメントを頂いたこともありました。色んな意見が聞けて本当にブログを書いてよかったなと思います。ではこのへんで終わりにしますね読んで下さってありがとうございました

  • 16Aug
    • 赤ちゃんが残してくれたもの

      赤ちゃんが亡くなって、旦那さんが会社で入っている生命保険から連絡が来ました。全く知らなかったのですが、子供が亡くなった場合には100万円が支払われるそうです。そして、本当にその連絡から数日後に100万円が支払われていました。またこんなサプライズまで残してくれたんですね。。でも、子供が亡くなってと理由で貰ったお金は複雑で手を付ける気になれません。お金なんて要らないから生きてて欲しかったよ。。今でも、【あの子が成長してたら、どんな女の子になっていたのかな。】と考えてしまいます。毎日あの子が恋しいです。会いたいな。また小さい手に触れたいな…

    • 恐怖の請求

      こちらの国は医療費がとっても高いです。妊娠・出産に限らず、医療費が特に高額なんです。個人個人、会社を通して保険に入っていて日本のように国保などは存在しません。要は保険がないと気軽に病院もいけないレベルなのです。私は旦那さんの会社の保険を使っていて、全てカバーされました。なので、今回に妊娠・出産・NICUの全てで1円も払わなくて大丈夫です。1円も払う必要はないのですが、請求書は来るので今回の請求額を見ることが出来ました。まずは1週間滞在していたNICU。ここは、私が赤ちゃんを産んだ病院です。たった1週間の滞在でしたが、請求金額は日本円で60万円。そして2つ目の子供病院。ここは2週間と1日滞在していました。なんとここの病院の請求額は…5500万円でした。5500万円。。。。。家買えちゃいますよね。こんな額、保険に入ってなかったらどうやって払うのでしょうか…その後、保険会社と病院の間で値段交渉があったようで、↑(これもよくあります)※この国では、保険会社と病院が交渉して値段が変わることがあります。そして最終的に私たちの保険が払った金額はトータル2300万円でした。あ、ありえない。。。5500万円もありえませんが、2300万円を実際に支払った保険会社にもビックリです。本当に海外の医療は高すぎますね。

  • 14Aug
    • 病院から受け取ったもの➂

      そして、赤ちゃんがNICUの保育器の中でいつも寝ていた小さいベットのようなもの。これは、保育器の中にいつも入っていて赤ちゃんがこの上に寝ていました。お顔は隠してますが、こんな感じで寝ていました。匂いを嗅ぐと、あの赤ちゃんの保育器の中の匂いがしました。匂いって、一気にその時の記憶に戻してくれますよね。この匂いを嗅ぐと、あのNICUに毎日通ってた日々を思い出します。そしてこのタコ🐙さん。こっちの国のNICUでは、未熟児の赤ちゃんと、この手縫いのタコさんを保育器の中に一緒に入れます。なぜかというと、このタコの足が臍の緒に似ているらしく、赤ちゃんがそれを見ると落ち着くんだそうです。なるほど〜と思いますよね。こちらの国のNICUでは、このタコさん良く見ます。日本はどうでしょうか?

    • 病院から受け取ったもの②

      病院から受け取ったものは、まだまだ沢山あります。これは、赤ちゃんがNICUに滞在中に常に腕に付いていた血圧を測るバントです。写真では分かりづらいのですが、ほんっとに本当に小さいです。大人の小指に巻けるサイズです。少し血が付いてるんですよね。。これを見たときは心が締め付けられました。これは洗礼の時に使った白い衣装です。写真だと大きさが分かりにくいですね。そして手前の白いのが超未熟児のオムツです。後ろのイチゴのオムツは、普通の新生児用。新生児用オムツってすごく小さいですよね。でもそれの半分以下の小ささです。3分の1の大きさかもしれません。こんな小さいオムツ、見たことありませんでした。これも記念としてとってあります。

    • 病院から受け取ったもの

      亡くなった後に病院から受け取ったものを紹介しようと思います。まずは、この足型とメッセージ。ここにはこう書かれています。The littlest feet make the biggest footprints in our hearts. 意味は、【この小さな足たちは、一番大きな足跡を私たちの心に残してくれた。👣】ステキなメッセージですよね。お世話になったソーシャルワーカーの方の作品だそうです。縁に入れて飾ってます。そして子供たち全員の手形のものもあります。苗字と名前が入っているので載せれませんでした。すみません。でも、これもお気に入りで子供部屋に飾ってます。これは冊子のようなもので、赤ちゃんを亡くした親が読むものです。赤ちゃんを亡くしたあと、それにどう対処していけばいいのかが載っていました。ここに書いてあるほど簡単じゃないんですけどね…。まだあるので次も載せます。

    • 結局の死因

      火葬が終わった日に死因が書いてある、いわゆる死亡証明書が届きました。数日前に、出生書も届いたばかりだったのに…私の住んでる国では、赤ちゃんが生まれてから2.3週間の間に出生書が届きます。まさか、、、出生証明を受け取った数日後に、死亡届けを受け取ることになるとは思いませんでした。死亡証明書の一部です。死因が3つ書いてありました。一つ目は、hypoxic respiratory failureと書いてあります。これは日本語で、低酸素呼吸不全という意味です。二つ目は、pulmonary hypertensionというものが書いてあります。この意味は日本語で肺高血圧症という意味です。そして三つ目は、prematurelyです。この意味は未熟という意味です。とても見にくくて申し訳ないのですが、このそれぞれの死因の横に何日間この死因が原因で死に至ったのかが書かれています。一つ目の低酸素呼吸不全は1時間。二つ目の肺高血圧は1日。未熟さは22日間と書かれています。低酸素呼吸不全が1時間と書かれているのは、最後の呼吸器を抜いたあと1時間は生きていたので、きっとそのことが主な死因だと書かれているんだと思います。日本の未熟児のこういった際の対応はよく分からないのですが、日本も赤ちゃんが苦しんでいるという状態であれば、このような安楽死のような方法で天国に見送ることはあるのでしょうか?youtubeなどで検索してみましたが、私と同じような状況の人は見つけられませんでした。英語で検索するとこういったケースがたくさんあるんですが…もし日本もこういったケースをしているっていうのがあれば教えて欲しいです。宜しくお願いいたします。

    • 産後1ヶ月検診

      赤ちゃんは亡くなっても、私の産後1ヶ月検診はあります。帝王切開の傷の経過をチェックしてもらったり、子宮の戻りを確認する必要があるからです。この産婦人科の先生は、私の2人目の子供を妊娠している時からの先生です。今回の妊娠中もこの先生が担当だったので、赤ちゃんが未熟児だったことも知っています。先生が入室して一言。「赤ちゃんはNICUでどう?元気?」と。そして、私は全て説明しました。「先生、赤ちゃん亡くなったの。」どんな状況で亡くなったか説明しているうちに先生の前でまた泣いてしまいました。先生も何度も 「辛かったね。頑張った。あなたも赤ちゃんも頑張った。」と言ってくれました。ああ、いつになったら泣かないでこの話を出来る日がくるんだろう。いつまでこの話をする度に泣いてしまうんだろう。

    • 遺伝子検査の結果

      NICUにいた間に指摘された耳の位置の問題。赤ちゃんの耳の位置が通常より下にあって、もしかしたら遺伝子異常があるかもと言われて、赤ちゃんの血液から遺伝子検査していた結果が電話で知らされました。私は妊娠中に、赤ちゃんが小さいことからIGUR(子宮内胎児発育遅延症)を指摘された際に羊水検査をしています。でも赤ちゃんには遺伝子異常はないと言われていました。しかし、NICUの先生曰く羊水検査は全ての遺伝子異常が分かるわけではないということで、赤ちゃんの血液から出来る遺伝子検査をしたのです。この赤ちゃんの血液から出来る遺伝子検査では、全ての異常が分かるそうです。私の赤ちゃんは生まれてからしばらく輸血をずっとしていたので、輸血をしている状態だと他の人の血が混じってしまうということで輸血が終わるまで待ってからの検査でした。赤ちゃんが亡くなった今、正直遺伝子異常があったとかそんなことはどうでもいいと思っていましたが、もし今後将来また妊娠したいことがあれば、遺伝子異常だった場合、その事実を知っておいた方がいいと言われました。結果は遺伝子異常なし。耳の位置も低いのは、未熟児でまだ顔にも脂肪がついていないし成長段階だっただけだろうとのことでした。過去2回の妊娠も異常がなかったし、今回も赤ちゃんには異常がなかったので本当に今回のことはたまたまで、不運だったのでしょう。と言われました。不運という一言で片づけられてしまうと何だか悲しいですね。でも本当に「unlucky」 アンラッキーだったのかと思うとなんでそんな珍しいアンラッキーの確率に当たったんだろうと思います。先生は、最後に「将来また妊娠することがあれば、同じ状況になる可能性は本当に少ないからあきらめないでね」と言ってくれました。正直今は、次の子を考えられるかと言われたら考えられません。もうこうなるのは怖いし、確率は低いと言われても一度経験してしまうとまた起きてしまう気もします。でも不思議ですね。赤ちゃんを見ると、「ああ、可愛いな。赤ちゃん恋しいな。」と思っている自分が。。いつかまた自分の心が準備出来たら、考えてみたいと思います。

    • 火葬完了

      火葬をすると病院に報告しました。葬儀屋さんが、赤ちゃんを引き取りに来たそうです。そしてそれから3日経った時に、葬儀屋さんから連絡が来て火葬が完了したので、娘さんの遺灰を取りに来てくださいと言われました。葬儀屋さんの住所を入れて、運転してそこへ向かいました。ついた時に出迎えてくれた優しい白人のおばあさん。歩き方が少し普通と違うことに気づきました。おばあさんが、「未熟児だったんだってね。大変だったね。」と言って、自身のことを話し始めてくれました。おばあさん自身もわずか1キロ程度で生まれた未熟児だったそう。その時の脳出血の後遺症で、運動神経に障害が出てしまったんだといいます。それでも今も健康には変わりないようで、「本当に残念だったね。本当に残念だわ」と繰り返し言っていました。自分がそういった状態で生まれたからこそ、余計そう思ってくれたのかもしれません。こうやって未熟児で生まれて生き延びる赤ちゃんもいれば、生き延びれない赤ちゃんもいます。この差は何なのか分かりませんが、きっと全てのことには意味があると思うようにしています。火葬された遺灰が入っている骨壺を渡されました。中身はどうなっているのかな…と気になっていると、「開けて見てもいいわよ。」と言われ、開けて見ることにしました。見たいような見たくないような…。開けてみると、直接遺灰が入っていたわけではなく小さい黒いベロア調の袋に遺灰が入れられていました。開けて見てみると、本当に小さな小さな細かくなった骨が遺灰に交じって入っていました。欧米の火葬の火力はすごく強いようで、日本のように骨がしっかり残ることはないようです。なので基本的には遺灰で返すとの説明を受けました。遺灰になった赤ちゃん。遺灰を見た瞬間に息が止まってしまいました。苦しくて、悲しくて、「本当にこれで終わってしまった。」と思わされてしまった気持ちでした。もう肉体がなくなってしまった赤ちゃん。大事にその骨壺を抱えて家に帰りました。やっと帰ってくることが出来たね。生まれてから初めて我が家に来たんだね。こんな形になってしまったけれど、一生忘れないよ。ぬいぐるみを買って、お花を買って、写真を飾って、骨壺を置くスペースを可愛く仕上げました。日本のような仏壇はないけれど、ここでしばらくは我が家に居てもらおうかなと思います。何年か経って、いつかどこかで、ここだと直感で思った場所に埋めてあげようかなと思っています。こちらでは、亡くなったなったペットや家族の遺灰をネックレスに入れたり、オブジェとしてオーダーしたり、遺灰=見たくないものとして考えず、家族と共に永遠に残そうとする人が多いんです。このボールの水晶は遺灰が入っているんですが、そうとは思わないですよね。私たちもネックレスをオーダーしました。赤ちゃんの名前は入ったオリジナルのネックレスです。私たちは、ここに遺灰を少しだけ入れました。毎日つけれるものではないけれど、特別どこかに行くときには付けていています。なんだか家族みんなで出かけている感じがして…こうやってずっと持っててもいいのかな。

  • 13Aug
    • 火葬か土葬

      こちらでは土葬が主流なのですが、私たちは数年後にここから引っ越す予定なので土葬した場合、この地に赤ちゃんだけを残してしまうことになります。それは嫌だったので、旦那さんと話し合った結果火葬することにしました。数日後に病院に火葬する旨を伝え、葬儀屋さんが赤ちゃんを病院から火葬場へ連れていってしまう前に最後に病院の霊安室にいる赤ちゃんに旦那さんと会いに行きました。亡くなってから1週間ぶりに見る赤ちゃん。体はすごく冷たくなっていました。顔も亡くなった時とは、少し変わっていたような気がします。本当にこれが最後に、赤ちゃんの肉体を見るとき。次に会うときには遺灰になって帰ってきます。ここでは、日本のように火葬中に家族が待つというのはなく葬儀屋さんが病院から遺体を受けとって火葬が終わり次第、家族に連絡するというシステムです。最後の最後。しっかりとその姿を胸に焼き付け、冷たい手にキスして、その部屋を去りました。

    • 赤ちゃんが亡くなったあと

      赤ちゃんが亡くなった後、その日は一旦帰宅することに。赤ちゃんは、火葬か土葬か決めるまで病院の霊安室に行くそうです。赤ちゃんが亡くなったのは朝方だったので、帰宅したときはすでに朝6時になっていました。たった今、病院で起った全てのことが信じられなくてもう40時間以上起きているのに眠ることも出来ません。病院を去る時に、赤ちゃんが保育器の中で使っていたものが手渡されました。寝ようと思っても寝られなくて、そのバックを見てしまいました。それは、小さいブランケットや帽子。見ているだけで辛くなってしまい、心臓が締め付けられてしまう感じだったのを覚えています。実は、私は幽霊などそういった怪奇現象を体験したことがなくいままでそういったものは信じていなかったのですが赤ちゃんが亡くなった後に何度か不思議なことがありました。今まで、人間は亡くなったあとはこの世の生きている人に会いにきたり出来るんだろうか?と疑問に思っていました。というかあまりそういったことは信じていませんでした。私の大好きだった祖母が亡くなった後も、会いたいから夢でいいから会いに来てよ。と思っても、そんな夢も見なかったし祖母の存在を感じたこともなかったのです。でも、赤ちゃんが亡くなって2日後のことでした。下の子を寝る前に抱っこしていたときのこと。なんだか、わたしの頭の中でこんなことを考えていたのです。【なんだか、この下の子を通して、今あの(亡くなった)赤ちゃんを抱っこしてるみたいな感覚だなぁ。】という自分でもよく分からないことを思っていました。その時まだ2歳の下の子が、天井を指さして、「あ、ベイビー!ママ、ベイビー〇〇ちゃんいるよ!」と言いました。赤ちゃんの名前も言っていたのでビックリしました。上の6歳の子であれば、私を喜ばそうとして嘘ついているのかな?と思うところなのですが、2歳の子が意味もなく、適当にそう言っているとは思えませんでした。「ベイビー〇〇ちゃん、いるの?」と聞くと、「うん!上にいる」とだけ言っていました。不思議なことってあるんだな…と思いましたが小さい子供って、そういう力があるそうです。あのスピリチュアルカウンセラーの江原啓之さんによると小さい子供はまだこっちの世界にいる期間が短く、そういったものを見れるんだそうです。そして成長していくにつれて、こちらの世界での生活が長くなるとどんどんそういった力を失うと言っていました。でも、実は旦那さんも赤ちゃんが亡くなってから数日たったある夜中に、赤ちゃんがずっと俺を触っている感じがして寝れない。と言っていたことがありました。私が、「なんでそれが赤ちゃんって分かるの?」と聞くと「保育器の中に手を入れていた時に、赤ちゃんが俺に触れていた感覚と同じで、なんか、それと同じように小さい手が俺のことを触ってた」「うまく説明できないけれど、赤ちゃんだって分かる。」と言っていました。旦那さんはそういった現象をよく見たり、感じたりする人でなので今回もそういったことを感じたのかもしれません。まだここから去りたくないのかな…一人で寂しいのかな。でもここにいるとしたら、初めて家に帰ってこれたね。良かったね。帰ってきたら使おうと思って準備してあったベビーベットもそのままです。お部屋もそのまま。退院できると信じていたのでたくさん赤ちゃん用品があります。でも不思議と何も怖いとも思いませんでした。その後、2歳の下の子は一切そういったことを言わなくなってしまい、今は旦那さんもそういったことを感じなくなったそうです。だから、もう逝ってしまったのかもしれませんね。寂しいけれど、いつも小さな天使が私たちを見守ってくれると思うとなんだか心強いです。今までは何も死後の世界を信じていなかったけれど、今回のことでもしかしたら、人間死んでも全て終わりではないのかもしれないと思うようになりました。だから私が天国に行くときには、この子に会えるかな?なんて思えます。

    • ついに天国へ。

      子供のように何度も泣いたこの日。3人のお母さんになると思っていたのに、それが打ち砕かれた日。この子が退院したら…ってあれもしよう、これもしよう。と夢見ていたことも今日で終わりです。先生に、上の子2人もその瞬間いさせるか聞かれました。でも、そこは悲しすぎる場面なのではないかと思い子供達は旦那さんのお母さんに見てもらうことに。旦那さんのお母さんも、泣いていました。旦那さんも泣いていたし、私は自分に凄く責任を感じました。私の胎盤が小さすぎたことから始まったこの早産と未熟児問題。私さえ、ちゃんとお腹で赤ちゃんを育ててあげられていたならこうやってみんな悲しまなかったのに…という気持ちでいっぱいでした。先生は、部屋に私を旦那さんだけ残るように伝えて子供達とお義母さんは別の部屋に。最後に保育器の中に入っている赤ちゃんを目に焼き付けます。横の小さいドアを開けて、ちいさな手に触れました。「こんなことになって本当にごめんね。」そればかり言っていました。先生が、最後の瞬間はあなたの胸の中が一番安心できると思う。と言っていたので、私が抱っこすることに。保育器の蓋を外して、初めて赤ちゃんが手渡されました。たくさん管もついたままだけれど、産んでから3週間目の今日初めてあなたを抱くことが出来ました。抱くと言っても凄く小さいから、胸にちょこんと乗せるだけ。まさか、この子を初めて抱っこする瞬間がこの子の最期の瞬間だとは思ってもいませんでした。最初で最後の抱っこ。この時、旦那さんが「赤ちゃん目を開けている」と言いました。赤ちゃんの顔を見ると、なんと目を開けて私を見ていました。数秒だったけれど、最期に「ありがとう」と言っていたかのように私を見つめていました。それを見た瞬間に、私はもう崩壊してしまいました。涙が止まらず、その目を開けた顔を見てしまった後はやっぱり逝かせたくないと思ってしまいなかなか呼吸器を外すサインが出せません。先生は、「焦らなくていいから。準備が出来たら言って。」と言いました。そういえば、目を開けた姿を写真に収めたことがなかったと思い最後に目の開いた写真を撮りたかったのですが、もうその数秒が最後で、待っていても、二度と目を開けてくれることはありませんでした。今、私の胸の中で呼吸している赤ちゃん。腕も動かしています。出来ない…やっぱりできない…そう思って、ただただ泣くことしか出来ません。そんな状態を見かねた旦那さんが、「逝かせてあげよう。」と言いました。私は黙ってうなずき、先生にサインを出しました。まずは、一気に呼吸器を抜かないで人工呼吸器のレベルをどんどん下げていきました。少し酸欠の状態にして、最後は呼吸器を抜く方法です。先生は、「もしかしたら最後に過呼吸になるかもしれないけれど少しの間だから、もしそうなってもパニックにならないでね。」と言いました。どんどん下がっていく心拍数。数分してから、先生に、「お母さん、人工呼吸器抜くね」と言われてその時が来てしまいました。見ていることが出来なくて、目を逸らしたかったけれど、ちゃんと見守らなかったら後悔すると思って赤ちゃんの手を握って「愛しているよ。」と伝えました。過呼吸になるかもと言われていたけれど、そんな様子もなく、ただただ静かに呼吸が遅くなっていきます。心拍もとてもゆっくりになっていきました。人工呼吸器を抜かれた赤ちゃん。初めてちゃんと顔を見れました。いつも管が口にも鼻にも入っていたけれど、今日やっと顔をちゃんと見れました。一番上の子に似ていました。人工呼吸器を抜かれた後、意外なことにその後1時間以上も心臓だけはまだ動いていました。心臓だけ動き続けている姿を見て、【今なら、呼吸器を戻したら生き返れるんじゃないか】【この子は逝きたくないんじゃないか】と思っている自分がいました。でも心拍はもう20以下。1時間経ってから、心臓が止まりました。最初で最後の抱っこ。初めて抱く瞬間が、天国へ送る瞬間。何度も小さい体にキスしました。最後に「ありがとう。さようなら。私がいつか天国へ行くときにまた会おうね。」と言いました。本当に小さな小さな体で22日間頑張りました。26週と6日で産んでしまってから、沢山痛い思いをさせてしまいました。でも、今は私の胸の中で静かに寝ていました。管もない、痛みもなく3週間ぶりに私の体に戻ってきました。3週間前はお腹の中にいたけれど、3週間後の今は胸の上にいます。最後に先生が来て、聴診器を当てて死亡時刻を宣告されました。その後、ナースの計らいで初めて体を拭いてあげることが出来ました。お風呂にもいれてあげることが出来なかった。授乳さえしてあげることが出来なかった。着替えもさせたことない。ご飯をあーんってしてあげることも出来なかった。一緒に公園にも行けなかった。外にすら出してあげることも出来なかった。生まれてから1度も病院から出たこともなく、外を見ることもなくこの世を去ってしまいました。上の子2人に当たり前にしていたことが、この子には何もしてあげられませんでした。この子はたった3週間生きるためだけに生まれてきて、幸せだったのでしょうか。今は、なんのためだったのか答えは分かりません。でも、この子は自分の命を使って私に大切なことを教えてくれました。「毎日当たり前だと思っていることは、当たり前じゃない。」毎日子供達と公園に行けることも、子供をくだらないことで怒ることも、笑って一緒に歌を歌うことも何も当たり前ではないのです。この日々が一生続くように思ってしまいがちですが、子供たちと過ごせる日々は、毎日1日ずつ減っているのです。寿命がくるのはいつか分かりません。でも、確実に1日1日と減っているので、本当に毎日をこれが最後かもしれないと思って過ごすようにしています。これは、この子が命を張って教えてくれたことでした。今は、上の子たち2人を毎日何度もハグして「大好きだよ」と伝えています。赤ちゃんが亡くなった後に、ナースが小さい白い服を持ってきてくれました。それを着せてもらった姿は、本当に天使のようでした。世の中の汚い部分も見ることなく、生まれた純粋なままで亡くなってしまった赤ちゃん。本当に天使に見えました。

    • 天国へ行く日②

      神父さんである友人が、私たちの赤ちゃんに洗礼の儀式をしてくれました。神父さんが帰宅した後、家族で過ごす時間を最後にもらえました。先生は、「もしこの決断が間違えていると思うのであればいつでも言ってね。いつでもやめることは出来るから。」と言ってくれました。私は、「でも止めたとしても、もう長くは生きれないんですよね?」と聞くと、「それは、もう本当に赤ちゃん次第。」と言っていました。でも、こんなにたくさんの管に繋がれている姿も後遺症が残る心配も肺がうまく機能していなくて呼吸に苦しんでいる状態も脳がダメージを何度も受けている状態も心臓が限界まで来ている状態も今日で終わらせてあげることが出来るのです。でも、私に1人の人間の命を、それも自分の決断で奪ってしまうことは許されるのでしょうか?でも、私はこの子のお母さん。私が決めなければいけません。そこに、今までたくさんお世話になったソーシャルワーカーが入室してきました。何度も病院に来る中で、このソーシャルワーカーとは特に仲良くなっていました。最後に私の素顔な気持ちを伝えると、こう言ってくれました。「赤ちゃんはね、もうあなたに伝えていたと思う。【お母さん。これが私も望むことなの。分かるでしょう?】って。頑張って頑張ってここまで来たけど、もう疲れちゃったのかもしれないね。でも、あなたがした決断は愛があるからこの子を凄く愛しているからこそした決断なんだよ。分かってる?愛しているからこそ、苦しんでほしくない、もう痛みから解放してほしいって思ったからあなたはこう決断したの。それがどんな決断であっても、親が子を想って下した決断ならば間違いはない。命の問題だから、どれが正解とかはないけれど、あなたがこの子を想ってした決断ならばそれがこの家族には正解の答えよ。」と言われ、私はまた子供のように大泣きしてしました。今日はもう何度泣いたのか分かりません。泣きすぎて涙ももう出ないと思うのに、まだまだ涙が出てきます。そうして、ついにその時がやってきてしまいました。

    • 天国へ行く日①

      このブログを書きながら、あの日のことを思い返すと今でも心が締め付けられてしまいます。それは生後22日のことでした。3週間生きました。もう少しで1ヶ月でした。先生とミーティングをして、赤ちゃんを天国へ送ってあげるというそういった決断をしました。その決意を伝えたとき、先生はこう言いました。「辛くてしょうがないと思う。でもね、これはベストな選択だと思います。赤ちゃんの姿を見たら分かると思うんだけれど、もう肌の色も黒くなってきてるのね。これは肝臓もうまく機能していない証拠なんだ。」そう言われて気づいたのですが、生まれた時は赤っぽかった肌の色もかなり黒くなってきていました。なんだかグレーかかったような肌の色だった気がします。そして、その日の夜に全ての機械を止めて人工呼吸器を抜くことになりました。先生が、最後になにか質問はありますか?と聞いてきました。そして私はこう言いました。「私の上の子2人は、NICUに入れなかったので赤ちゃんを見たことがありません。今日最後に上の子たちに赤ちゃんを見せることは出来ますか?」先生が、「もちろん。NICUに普段は入れないけれど、今日は例外だよ。」子供達は、同じ病院の託児所にいたので急遽そこからNICUに来ることに。託児所の先生が、上の子2人をNICUまで届けてくれました。そして子供達と、旦那さんと赤ちゃんの個室へ。天国に送ってあげると決めてから戻った個室は、なんだか1時間前のミーティングの前とは別な部屋に見えました。1時間前は、嫌な予感はしていたけれどまさか今日の夜に天国に逝かせてあげるなんて思っていなかった…赤ちゃんを見て、また涙が止まらなくなってしまいました。横を見ると旦那さんも泣いています。そんな中、上の子たちは何も知らずに「赤ちゃん小さい~!かわいい~!」と言っていました。今、目の前のにいる赤ちゃんは保育器の中で腕も足も動かしていて元気そうに見えるのです。。。本当に本当にこれでいいのか、本当にこの決断が間違えていないのか…今目の前で、たくさん動いている赤ちゃんを見れば見るほど、その決断が間違えているような気がしてきました。【確かに昨日の夜の状態は良くなかったけれど、それはたまたまだったのかも…数日すれば、機械の数値も下がって奇跡的に生き延びるかもしれない】そんなことを旦那さんに言うと、「これでいいんだよ。僕たちは正しい決断をした。」と言って私を抱きしめてくれました。上の子は6歳なので、どんな状況なのか説明しましたが分かっているのか…分かってないのか。死という意味をあまり理解していないため、説明すると、「じゃあベイビーは一緒に家に帰れないの?悲しい」とは言っていました。死=もう肉体がなくなるとかそういうことは分かっていないので、うまく説明することが難しかったです。その間、病院のスタッフが、思い出に手形と足形を取りましょうと言って手形や足形を取っていました。写真もたくさん撮ってくれていました。悲しくてそっちに気が回らず、あまり気にもしていませんでしたが実はその手形足形のものや、写真が額に入れられて後日送られてきました。今はそれを子供部屋に飾っています。そして、ナースが「バプタイズはしますか?」と聞いてきました。バプタイズとは、洗礼のことです。こちらではキリスト教が主流で、私の旦那さんもクリスチャンです。この洗礼を行うことで、天国に行ったときに神の子として迎えてもらうことが出来ると信じられています。 キリスト教徒となるために教会が執行する儀式。全身を水にひたすか、または頭部に水を注ぐことによって罪を洗い清め、神の子として新しい生命を与えられるあかしとする。この子供病院では、天国へ旅立つ子供は洗礼出来るシステムになっていて、希望すれば神父さんが来て洗礼の儀式をしてくれます。欧米の病院では、神父さんが病院に常に滞在しています。こういった最期の時に共に祈ってくれたり、洗礼の儀式などをするためです。私たちは、「お願いします」と言いました。そこで旦那さんが、「僕の友人の神父さんにお願いしてもいいですか?」と一言。実は私たち夫婦の友人で、いつもよくしてくれる神父さんがいるのですが、旦那さんはこの人にお願いしたいと思っていたようで、急遽、その神父さんに来てもらうことになりました。この神父さんは女性で、私が帝王切開した後に入院していた時もお見舞いに来てくれていました。その時にNICUに案内して、赤ちゃんにもすでに対面したこともあります。その時も祈ってくれて、「この子の1歳の誕生日には絶対私を招待してね!」と言ってくれていました。なのに、まさか赤ちゃんとの2回目の対面が天国に送る洗礼の儀式だとは…その神父さんも想像していなかったでしょう。でも急なお願いにも関わらず、電話してから20分で病院に駆けつけてくれました。私を見た神父の友人が、抱きしめてくれました。泣いている私を見て、「悲しいね。大丈夫よ。全てのことには意味があるんだからね。それを信じてね。見送ってあげましょう。」と言ってくれました。そうして、洗礼の儀式を行いました。ナース白い小さなドレスを赤ちゃんの体の上に置いて、小さい帽子をかぶせてくれました。そんな状態でも、赤ちゃんはまだまだ動いています。。本当にこの後に機械を止めるということが信じられないくらい元気に動いていました。

    • 運命の日③

      それでも、私には聞きたいことがありました。泣きながら必死にした質問。「赤ちゃんの肺も心臓も脳も限界だって言いましたよね。でもそんな状態だって分かっていても、無理やり生かし続けるのが正解なのでしょうか?先生たちの仕事は、NICUにいる赤ちゃんたちを助けることだと思いますが、こういった状態で、明らかに苦しんでる赤ちゃんも助けるだけが選択肢なんでしょうか…。」「先生は、私の赤ちゃんは脳に何度もダメージを受けていてそれが将来脳性麻痺などになる可能性が高いと言っていましたが、そういった可能性あって、もしここで生き抜いても重い障害が残った場合、どう考えてもそれがこの子の望む人生だと思えないのです。それに私は、この子にそういった状態で生きていて欲しいと思ったら、それは私のわがままであって、この子は脳性麻痺でも生きたい!と思うとは思えません。」そういうと先生は、こう続けます。「実はそれを今から聞こうと思っていました。あなたは、自分の赤ちゃんがこういった状態だと分かりながらこのまま僕たちに、生かしつづける医療行為を続けて欲しいですか?」と。私と旦那さんはお互いに顔を見合わせました。「いいえ」それが私たちの答えでした。いいえ。と答えたということは、赤ちゃんの人口呼吸器を抜いて、天国に送ってあげるという選択肢でした。私たちは、どんなに赤ちゃんに生きててほしくてもどんなに家に一緒に帰りたくても、こんなに小さな体が毎日痛みに耐えて機械の数値を限界まで上げられて、無理やり生かされつづけてる姿は望んでいませんでした。それはきっと赤ちゃんは望んでいない。もし今、奇跡的に生き延びられても重い障害が残ったら私たちが死んでしまったときに誰がこの子を面倒見るんだろう?私たちの上の子2人に全て押し付けることは出来ません。この子たちは、この子たちの自分の人生があるのです。この子たちは、重い障害のある妹の世話をするために生まれてきたわけではありません。どんなに辛い選択だとしても、この選択がみんなのために一番だと思いました。でも、そういった決断が出来たのは生まれたばかりだから。。辛いけれども、かわいそうだけれども…これが赤ちゃんの為だと思えました。もっと辛い痛みを感じる前に逝かせてあげようと…。でももしこれが、上の子2人のどちらかでもう何年も一緒に過ごしていて、この状況になってしまったら…私は泣きながら「無理やりでもいいから生かしてください」と言っていたような気がします。一緒に何年も過ごしてしまった後ならば、こんな決断は出来ない気がするのです。実は、まだこういった説明を先生からされる前に私が1人で赤ちゃんの面会に行った時に、目の前の保育器の中にいる赤ちゃんを見ながら心の中でこう思ったことがありました。【何回もあなたにこうやって会いに来て、何度もあなたの姿を見てどんどん愛情が湧いてきて、時間を共に過ごせば過ごすほどもし生き延びれなかったことを考えると怖い。もし…もし長く生きれないのであれば、早い方が悲しみは…】と思ってしまったことがあったのです。もちろん、だからといってこの結末を望んでいたわけではありません。でも今考えると、赤ちゃんは私が考えていたことを知っていたような気がします。これが家に退院できる直前だったら?これが抱っこ出来た後だったら?これが授乳出来た後だったら?これがあなたの体にキス出来た後だったら?これが、あなたが目を両方開けて笑ってくれた後だったら?時間が経てば経つほど、一緒に過ごせば過ごしたほどきっとこの選択は辛かったと思うのです。だから、こんなことを考えていた私の気持ちを赤ちゃんが察知したような気がしています。

    • 運命の日②

      そして、約30分くらい経ったころでしょうか。先生が戻ってきました。先生は、「ではお父さん、お母さん少しミーティング出来ますか?」と言って、私たちはミーティング室へと案内されました。このいつも担当してくれていた先生のほかに、このNICUの責任者である医者もいました。それと担当してくれているナース&ソーシャルワーカーもいます。このどう考えても簡単な説明では終わらなそうな空気に私の心臓は張り裂けそうでした。座ってすぐ、責任者の医者が話し始めました。「まずは、あなたの赤ちゃんの今の状況について説明させてね。僕が見た感じで、赤ちゃんの耳の位置がすごく下についていることなんだけど、これは、赤ちゃんが凄く未熟だからまだ顔に脂肪もないし、完全に出来上がっていないのかもしれない。でも、耳の位置が凄く下にある場合は遺伝子異常があることがあります。あなたは産婦人科に通っている時に、羊水検査もしていて遺伝子異常はなしと出ているけれど、羊水検査から出来る遺伝子検査は限られていて、全ての遺伝子異常が分かるわけではありません。なので、赤ちゃんの血液から出来る遺伝子検査をしたいと思っています。」と言われました。そう言われて気づいたのですが、確かに赤ちゃんの耳の位置が普通より下でした。耳は普通、目のラインと同じ位置にこないといけないそうなのですが私の赤ちゃんの耳は、頬のラインにありました。耳の位置が低い時は、ダウン症などの遺伝子異常の可能性があるとグーグルで調べたら出てきました。でも、羊水検査でダウン症はないと出ています。なので、この時点ではなんの遺伝子異常なのか分かりませんでした。検査結果は2週間で出ると言われました。そして、気になっていた脳出血は今のところ起きていませんでした。前の病院で誤診されていた脳出血でしたが、生まれた日から、この日までの21日間一切脳出血していないことが分かりました。それを聞いて一安心。このミーティングは耳の位置の問題だったのか?と思っていると、先生のトーンが明らかに変わりました。「まずは、耳の位置の検査は今結果が出ないので置いておいて、脳と肺と心臓について説明させてね。まずは、脳は出血していないけれども、肺が凄く未熟なせいで肺から血液を通して空気がうまく送られていないせいで、脳にダメージを何度も受けています。このダメージが将来大きな後遺症などになる可能性があります。ダメージの度合いや、ダメージを受けた回数によりますが、肺が未熟すぎて、これから何度脳がダメージを受けるか分かりません。そして、心臓も正直かなり限界状態です。これも肺が未熟で、心臓に負担がかかってしまっているのです。酸素の機械の酸素濃度も100%で供給しています。通常は20-30パーセントの酸素濃度が望ましいのですが、100%というのは限界まで機械を引き上げている状態です。今見た感じでは、機械の数値を下げることもしばらくは無理だと思います。この状態は、けっこう限界にきていて僕が5枚カードを手に持っているとしたら、今5枚全てのカードを使い果たしてしまった状態です。出来る全てはしたけれど…もうほかに出来ることがないのでこのまま状況を見て、赤ちゃん次第だけれども…頑張ってくれることを祈るしかありません。もしかしたら、赤ちゃんが【生きたい!】と思って頑張るかもしれないし、それはどうなるか分かりません。でも、こういったダメージを体が受け続けていることは分かってください。この言葉を口にするのは本当に辛いんだけれども、もうあなたの赤ちゃんを生かすことは難しいかもしれません。だから、今日家に帰って数時間後や数日後に【赤ちゃんが助かりませんでした】と言われても驚かないで欲しい。」こういった説明をされました。その【赤ちゃんをもうここで生かせない】かもしれない…という言葉を聞いた瞬間、横にいた旦那さんは頭を抱えて泣いていました。私は頭が真っ白で涙も出てきませんでした。2人で泣いている場合ではない聞きたいことを質問しなきゃという気持ちで、とにかく自分を保つのに必死でした。横の旦那さんを見ると、辛くて辛くて見ていられず、目の前にいるソーシャルワーカーの顔を見たら、彼女の目も涙が溜まっていました。それを見て、ずっと我慢していたのに涙があふれてきてしまいました。。。こんな歳になって、大勢の前でこんなに泣いて恥ずかしいとかなんだかそんなことももう考えられませんでした。

  • 12Aug
    • 運命の日①

      NICUに到着し、赤ちゃんの個室へ。見た感じはいつもと変わらない様子に見えたのを覚えています。その日の担当ナースさんが来て、昨日の夜の状態を説明してくれました。でも専門用語ばかりなので、いまいち頭に入ってこなくて「今は安定しているんですよね?」と聞きました。とにかく、ナースの話では昨日の夜は少し危なくてでも今日はもう持ち直している。というような説明でした。そんな話をしているなかで、赤ちゃんの顔が変わったことに気づきました。生まれた時は、完全に目も閉じていたけれど最近は片目を開けるようになっていました。まだ、もう片方はたまーにしか開かないようで、基本的には、私たちが行くと片目だけ開けて保育器から見ていました。顔も生まれたときより成長した顔をしていて顔だけ見れば、あの数週間前より成長したことに気づきました。そこで、担当ドクターが個室に入ってきます。まずは、どんな状況か説明されました。でも内容はさっきナースが説明してくれたこととほとんど同じ内容。「赤ちゃんは昨日の夜呼吸に苦しんでいたので、現在は機械の数値をMAXにして、持ちこたえてもらっています。今は安定していますね。でもかなり重症なことには変わりありません。」と言われたので、「重症とはどういったレベルなのですか?」と聞きました。赤ちゃんの見た目は、私たちからすると変わったようにも見えないし重症と言われても、そんな様子にも見えないのです。先生は、その質問にこう答えました。「まずは、超未熟児で生まれているので全ての器官が未熟です。なので、重症は重症です。でも今は赤ちゃんとの時間を楽しんで。あと少ししたら、また戻ってきますから少し面談しましょう。」と。その後、他の質問をしても、「とりあえず、今は赤ちゃんとの面会時間を楽しんで。すぐ戻ってきます。」そればかり言うのです。何で、この医者は何度も 『赤ちゃんとの時間を楽しんで』ばかり言っているのでしょう?私は嫌な予感がしました。それは旦那さんも同じだったようで、朝の連続電話&留守電そして、今は何度も【赤ちゃんとの時間を楽しんで】と言って話をそらされる…もういいサインではないことは明らかでした。

  • 10Aug
    • 生後20日目

      生後20日が経過しました。相変わらず、病院には毎日少しの時間ですが面会へ行っていました。その日も午後から面会へ行く予定でした。朝ごはんを食べていると、旦那さんが「病院から3件も電話が入ってる。留守電も。」と言いました。嫌な予感がして、私も携帯をチェックすると4件の不在と留守電。普通は電話なんか来ないのに…面会に行くたびに、毎日の報告をされるだけで直接子供病院から電話が来ることはありません。なのに4件も電話が入っているのは、何か緊急事態なんだと察知しました。急いで掛けなおすと、先生が、「昨日の夜、少し危なかったです。肺が未熟なせいで呼吸がうまくできず、今は酸素の機械の濃度を100%にあげています。今はまた安定していますが、今日面会に来ますか?」と言いました。前にも書きましたが、酸素の機械の濃度は通常20-30パーセントが理想です。それは、私たちが息をしている酸素の濃度は20%。それに近い状態で酸素を供給するのがベストなのです。それが100%で供給されているということは、全くいい状態ではありません。とにかく、早く病院へ行くのがベストだと思い、病院へ急いでいく準備をしました。旦那さんも今日は一緒に行くことになり、子供達を連れて子供病院へ。子供達は、病院内の託児所に預けて私たちはNICUへ行きました。

    • 生後2週間・帝王切開経過

      このブログを書きながら、沢山のことを思い出しました。たった数ヶ月前のことなのに、すごく昔のことに感じます。生後2週間が経ちました。相変わらず子供病院に入院していて、特に大きな変化はありません。2週間経った時点で550gに体重が増えていました。生まれた時から、150gの増量です。お腹の中にいたときは、成長が遅かったので、150g増えるのに2週間以上はかかっていたと思います。早くお腹から出してしまうのは嫌だったけれど、やはりこういう子宮内胎児発育不全の場合は、外の世界の方がベストなんですね…・2週間経過して、私の帝王切開の傷もだいぶ良くなりました。痛い時期を経過して、今度は痒い状態に。このかゆみが凄く痒くて、かかないようにどーにか我慢していました。傷はかけないので、上の部分を掻く感じでごまかしていました。1cm幅のテープが傷の上にびっしり貼られていましたが、少しづつはがれてきてしまっていたので、勇気を出してはがすことに!少し怖かったですが、1枚1枚ゆーっくりはがします。意外に強力で、剥がすのに力がいりました。剥がした瞬間に傷が裂けたら…と思いましたが、人間の体は凄いですね。2週間も経つと完全にくっついています。テープをはがしてスッキリ!手術後に、傷を初めて見てしまって。。その傷を見て、「ああ、ここから赤ちゃん出されたんだ。」と思いました。縫合された部分は、溶ける糸を使用していたので抜糸も特にありませんでした。いまだにお腹を押すと、中の筋肉が痛みますが表面の傷はもうばっちりです。